芥川龍之介の『少年』の中の「海」という小説では、保吉という少年が、大森海岸の海の色を赤っちゃけた「代赭色(たいしゃいろ)」と認識して、常識的な海の青に対しておかしいと思い、それを母に否定されるという物語ですが、葉の青も海の青も、常識的な青色ではないことのおかしさを感じることができます。そういえば、信号機も緑色なのに青と言いますね。
日本語の古来の色名は「赤、青、黒、白」の四色で、この「青」には現在の「青」と「緑」の両方が含まれていて、これは万葉集の時代より前からあったと思われています。
「あをによし奈良の都は咲く花のにほうがごとく今さかりなり(万葉集巻三 328)」の「あを」は木々の緑色を表しているようです(諸説ありますが)。だから、日本人は緑色よりも青色のほうが馴染みがあるのかも。
「冬青」から奈良の都の春の光景まで連想が飛びました。元旦の寒さから、暖かな春の日差しを求めてしまったのかもしれません。花が咲き乱れてよい香りでいっぱいになる春を心待ちにしながら、この冬も楽しみたいと思います。
第三章 隣る人
生まれることの三つの不自由
仏教では、輪廻転生という何度も繰り返し生まれ変わるという思想があります。この広〜い宇宙の中で地球という惑星に人間として生まれるということは、有ることが難しいというほど、めったにないことなのかもしれません。
だからこそ人間として生まれることは「ありがたい」のだと思います。ただし、一概に感謝の念を持つ「ありがとう」とは言い切れない側面もあります。
【前回の記事を読む】子どもにも大人にも情緒に必要な心の発達はお母さんのような「安心感」