第三章 隣る人
生まれることの三つの不自由
アメリカの心理学者であるロロメイが、生まれることの三つの不自由について説明しています。
それは子どもが①自分の「生」を選べない、②自分の「性」を選べない、③自分の「親」を選べないという不自由な選択をして人間として生まれるということです。
子どもは親の意思によって生まれさせられる現実があり、そこに子どもの意思は介在しません。また、身体的性差はあらかじめ与えられています。
さらに、いくら不都合な親であっても、子どもに親を選ぶ自由はありません。虐待をする親の下に生まれれば、ただそれを甘んじて受けるしかないという事実があります。
このように、子どもはただ与えられたまま、受け入れるしかない受け身の選択の中で生まれてきます。にもかかわらず思春期・青年期になると「さあ、自分探しをしなさい」と放り出され、能動的に自分と向き合わざるを得ないしんどさを抱えることになります。
スピリチュアルの世界では、人はこの世に生まれる時に体験したいことを決めてくると言われていますが、現実的な世界では、人間として生まれるということは、ただ「ありがとう」とばかり言っていられるわけでなく、結構苦しいことも多いのです。
ブッダが初転法輪において、苦の真理とはすなわち生、老、病、死であると説いたように、やはり生まれることは苦しいのだと思います。
でも、私は周りにいる人たちの存在に支えられて生きていることを実感していますので、その人たちが人間としてこの世に生まれてきてくれたことに、心から感謝をしています。
あなたの存在に支えられ、心の中にはいつもあなたがいます。離れていても、それぞれの場所で元気にがんばってくれていることに勇気づけられています。
そんなあなたに出会えたことに「ありがとう」と伝えたい。あなたがこの世に生まれ、存在していることに感謝します。だから、あなたが生まれてきた日を心からお祝いしたいと思います。
私を支えてくれているみなさんに伝えたい。そしてこれからカナムーンを通して出会うみなさんにも。「お誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう。これからもよろしくね」と。
みなさんも大切な人たちにぜひ伝えてくださいね。同じ時代に生まれさせられたみなさんにこうして出会えたこと自体が奇跡なのですから。