序 章

簡単に言うと、「女子受験生と多浪生には不当なバイアスをかけて合格しにくくしていた」と言ってよいでしょう。

この一連の報道を見ていて約35年前の事件を思い出していました。その事件とは、「戦後最大級の企業犯罪」とも言われるリクルート事件の発端の事件でした。

1988年6月18日の朝日新聞は朝刊社会面トップで、川崎市助役が、リクルートの関連会社から得た未公開株の売却益で1億円を得ていたという事件をスクープしました。これを足がかりに首相をはじめ主要大臣、自民党役員を含む政治家約90人が同様に売却益を得ていたという事態が発覚し、最終的には時の竹下登首相の退陣にまで発展しました。

このとき、私は産経新聞の川崎支局の2年生記者でした。この記事が出る数時間前、当時の県警キャップから「朝日に抜かれる(スクープされる)かもしれないから夕刊で追いかける。後追い取材の準備を始めろ」と連絡がありました。

そこで「こんなこと誰でも知っていて、事件にならないからボツったんじゃないですか? そんなの暗黙の了解ではないですか? なぜ朝日が今さらやるんですか?」と聞きました。

当時、横浜記者クラブの新聞各社とNHKは、神奈川県警が汚職事件としてリクルートの子会社であるリクルートコスモスと当時のK川崎市助役を捜査していたことはすでにつかんでいて取材をしていました。そして、公判が維持できる証拠が得られず、立件できないから流れてしまったらしい、ということまで知っていました。

神奈川県警が捜査を断念したのですから逮捕者が出るわけもなく、朝日新聞が今さらスクープ(?)として書くこと自体にニュースとしての価値があるのかという違和感を覚えたのです。

キャップからは「暗黙の了解なんてねーんだよ、バカ。俺たちが知っていて、当たり前のことでも、世間の評価は違うかもしれないだろ。世間が知らなきゃ特ダネだろ」と言われました。

いつの間にか「事件にならないなら、書く意味がない。他社がやらないなら自分もやらない」といった横並びの環境にあぐらをかき、「道義的責任」や「世間の評価への情報提供」といったジャーナリズム精神を忘れていました。あるカプセルのなかで完結している世界で仕事をしていて、どこか感覚がマヒしていたのかもしれません。

悔しかったけれど、当時の朝日新聞のスクープ記事は素晴らしいものだったと思います。