八 いじめられっ子救出作戦

いじめは子どもの世界だけの話ではありません。当時、私がいた職場でもいじめがありました。

昭和五十九(一九八四)年にオープンしたばかりのプランタン銀座で、私はアクセサリー売り場で販売員をしていました。

同じ班の鍋島さんは同僚二人からいじめられていました。毎日泣かされているのを垣間見て、無性に腹が立ち、不愉快そのものでした。

その話を母にすると「中学校の頃、『いじめっ子をいじめる会』の会長さんだったでしょ。アンタが頑張らなくて、誰が頑張るのよ」とハッパをかけられて、ハッとしました。

「みかどのおばさんの娘だもんね……頑張るか!」

「そうよ、そうよ。頑張りなさい」と、母に励まされました。

翌日も鍋島さんは二人から嫌がらせを受け、泣きながらランチ休憩に行きました。少しでも心の痛みが取れればと思い、鍋島さんが担当している売り場で三万円のアクセサリーを売りました。帰って来た鍋島さんにタグを手渡すと、満面の笑みだったので、嬉しくなって他の人たちが担当している商品も売りまくりました。

すると、私が十三時のランチから戻ると、他のみんなが私の商品を売りまくってくれました。急速に仲間意識が高まり、売り場の環境がすごくよくなりました。いじめていた二人組は、活気に溢れた職場に馴染めず、すぐにプランタンを去って行きました。

そんなある日の朝、全国の百貨店の上層部の人たちがプランタンに来ました。(なぜお偉いさんたちが来ているの?)と思っていたら、その中になつかしい部長を発見しました。以前、私が働いていた新宿の百貨店の香川部長でした。

「おー、六谷。おまえここで何しているんだ?」

「販売員ですよ。今日は大勢でいったい、どうされたんですか?」

香川部長は無人販売員の陳列台を指さしながら、「この東洋アクセサリーだけど、プランタンの売り場が、先月日本一になったんだよ」と言いました。

びっくりするのと同時に、なぜだか嬉しくて、販売員みんなで喜びを分かち合いました。最初はいじめの撲滅になれば……と始めたことでしたが、(人を思いやる気持ちが奇跡を作るんだな~)と、つくづく思いました。

この顚末を母に話すと、「ヨーコさん、頑張ったじゃない」と褒めてくれました。

「『蛙の子は蛙』って思わない?」と言うと、母は笑いながら私の頭をこづきました。