1太陽年 1平均朔望月
現在値 365.24219日 29.530589日
四分暦 365.25 29.530851063
太初暦 365.25016 29.530864198
太初暦は前漢の末に劉歆(りゅうきん)の手で増補されて三統暦と名を変え王莽の新王朝にも継承され、後漢に入ってからも用いられ続けたが、天象と暦日のずれが顕著となり、科学的要請もあって、章帝元和2年(A.D.85年)、以前より讖緯説家に信奉されていた四分暦が復活する。これがいわゆる後漢四分暦である。
後漢四分暦は後漢を通じて行われ、三国時代の蜀にも継承されて、蜀が滅ぶ263年まで178年間用い続けられた。
後漢四分暦は、紀元前162年(西暦-161年)の11月中(冬至)が朔で0甲子の0時0分であったとして計算を始める暦法であり(『全譯後漢書』3〔汲古書院 2004年〕「律暦志下」p.167・168)、顓頊暦と同様の計算で各年の月朔と中気を求めることができる(但し閏月は顓頊暦の歳終置閏法とは異なり、後の暦法と同様に中気を含まない月として決められている)。
1太陽年経るごとに11月中0時0分の干支指数は5.25だけ進み(365.25=360+5.25)、同じ時刻の月齢も、1太陽年経つごとに、
365+1/4-12×(29+499/940)=10+827/940日=10.8797872340……だけ進む。
従って西暦a年の暦日を求めると、まず前年の11月中0時0分の干支指数
T(a)は、60を法として
T(a)=0+5.25×(a-1+161)=5.25×a=(5+4/16)×aその月齢G(a)は
G(a)=(10+827/940) ×(a-1+161) ±(29+499/940)×r
(整数rはこれまで同様、平均朔望月を加減して全体を平均朔望月より小さい正数に収めるための数であり様々な数値を取る)=(10+827/940)×a+27+918/940±(29+499/940)×rよって西暦a年の前年11月朔の干支指数Ⅺ(a)は、
Ⅺ(a)=T(a)-G(a)
こうして求めた11月中T(a)に、(365+1/4)÷12=30+7 /16を次々に加えることで西暦a年の24節気の中気が算出でき、Ⅺ(a)に29+499/940を次々に加えることで西暦a年の月朔を算出できる。月朔と月朔の間に中気が含まれない月が自動的に閏月となる。
四分暦は、このように、暦の起点さえ算出しておけば、以後の暦日は、定数であ30+7/16と29+499/940を次々に加えることで何年分でも中気と朔日を、従って暦日を算出できる暦法である。
【前回の記事を読む】「勅を奉りて、始めて元嘉暦と儀鳳暦とを行ふ」通説の通りに読めるとは思われない