敬明はわたしに名刺を返しながら、曖昧に言った。

「こことはあまり関わらない方がいいよ。話したことをそのまま記事にしてくれるとも限らないし、そうなると、あとで面倒なことになるだろ。記者が来たのは一回だけ?」

「うん」

「そうか……」

わたしはもっと『告壇』のことを詳しく聞きたかったが、敬明の表情を見てやめた。

「それより、おばさんに紹介してもらった所、働きやすくてよかった」

「何人ぐらいがいる屋敷なんだ?」

「住んでいるのは女の人ひとりなの。住み込みの女中もわたしひとり。あとは、通いの女中がひとりいるだけなの」

「そうか。じゃあ、わりと気楽なのかな?」

「うん」

わたしがいま働いている家の主、星炉さんは、五十代前半ぐらいの女性だった。いや、もっと年上かもしれない。都会の人は、実際の年齢より若く見えるから。

星炉さんは気さくな人で、整った顔立ちは、美人というより中性的な感じがした。ずっと独身なのか、離婚したのか、子供がいるのかといったことは、謎だった。

霧坂のおばさんからは、

「そこの家で女中として長く働いてる黛(まゆずみ)さんは、わたしの友だちでいい人だから、大丈夫よ。もし、なにかいやなことがあったら、すぐに言ってちょうだい」

と言われていた。

おばさんも星炉さんのことはよく知らないようだったが、女がひとりで暮らしている家、といえば、それほど問題もないと思ったのだろう。

星炉さんは自分のことをあれこれ語る人ではなく、わたしも、ただ言われたことを淡々とこなすだけだった。

黛さんは星炉さんと同じぐらいの年齢で、どうやら星炉さんのことをいろいろ知っていそうだったが、わたしはなにも聞かなかった。まだ働きはじめたばかりなのに、あれこれ聞いたら、いい感じはしないだろうと思った。

ただ、話の流れで一度だけ、こんな会話をしたことがある。

「今日いらっしゃったお客様、たしか、戦死者遺族の進学や就職を支援されている方ですよね。わたし、雑誌で見たことがあります。奥様も慈善活動をされているんですか?」

「奥様の慈善活動はね、金持ちの暇つぶしなんかじゃないんだよ。もう三十年近く、ご自分のお金で、地道に続けてこられたんだ」

「立派な方なんですね」

黛さんは、わたしの反応に満足気に頷いた。

【前回の記事を読む】「貧しい人がいなくて、皆が平等の国」という言葉を聞いたときに感じた違和感

次回更新は5月6日、11時の予定です。

 

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