第一章 不運
四
この雉斉(きじさい)国の西隣には、以前、サントネスという国があった。皇帝が治める国で、皇族や貴族たちの贅沢な暮らしぶりは、ときどき婦人雑誌にも載っていた。
でも十年前、革命が起きて、皇帝一家や貴族たちは殺され、新たにフルグナという国ができた。フルグナには、皇帝も貴族もいなかった。「全統主義」とかいう思想のもと、すべての人民は平等だということだった。
亡くなった美奈子が、いろいろ熱っぽく語っていた。
「フルグナには、貧しい人がいないのよ! みんなが豊かに暮らせる国なの。階級もなくて、みんな平等。雉斉もそういう国になればいいのに」
わたしはそれを聞いたとき、なにか妙な気がした。なぜだろう。みんなが平等で豊かに暮らしている国。いい国ではないか。でも、なんだろう、この違和感……。違和感といえば、この雉斉でも、金持ちの息子や貴族がやけにこの全統主義に入れ込んでいるようだが、あれはなんなのだろう。
差別や貧困に苦しむ人が、平等な社会を熱望するのはわかるが、金持ちや貴族がそうした社会を目指すというのは、どういうことなんだろう。そうした社会になれば、彼らは富も特権も失うだろうに。それでいいんだろうか。
彼らはそれほどまでに、貧しい人を思いやっているのだろうか。でも、彼らは貧しい人の暮らしや人生なんて、ほとんど知らないだろうに。ちょこっと聞きかじった話や、どこかで読んだひとつのエピソードだけで同情されてもなぁ……。
それとも、なにか他に目的や考えがあるんだろうか。村で尊敬されていた物知りのおじいさんが、全統主義に「かぶれた」人たちのことを、
「彼らは進歩などと言いながら、社会の要(かなめ)やみんなが大切にしてきたものを破壊している」
と、嘆いていたのを思い出す。
それはともかく、フルグナはこの全統主義を世界中に広め、国境をなくし、貧しく虐げられた人々を救うとか言っていた。
雉斉には国王と四人の親王がいて、その下に貴族がいる。貴族は上から元爵(げんしゃく)、翠爵(すいしゃく)、紺爵(こんしゃく)、橙爵(とうしゃく)、准爵(じゅんしゃく)と位階があって、基本的には世襲だが、功績次第で、庶民の生まれでも元爵になれる。
もちろん、そこまで出世できた人は数えるほどしかいないが、橙爵、准爵まで出世した人なら、けっこういた。やる気や能力があれば上へ行く道はあるのだが、それはあまりにも狭く険しく、多くの場合、貧しい家に生まれれば、そのまま貧しい人生を送ることになる。
フルグナは、そのような雉斉の社会はまちがっている、雉斉の人民を解放しなければならない、などと言っているのだが、雉斉政府によれば、それは「侵略の口実」ということだった。