そして、正成は陛下より賜った菊作の宝刀を取り、これを正行に渡して別れました。
正行は涙を拭いながらその場を去っていきます。
正成は、その後、兵庫に着くと、兵隊七百名で湊川に陣を布きました。
それから、敵兵の大軍に対峙して、正季と共に足利直義の陣に突入し、七度離れ七度遭遇して戦う度に直義を、あと一歩のところで捕らえようとしました。
すると、危機を感じた尊氏が兵隊を分けて直義の助けに入ってきます。
それでも、正成は兄弟で馬を走らせて敵兵に挑んでいきました。
決戦を挑み、突撃する数十六回、ほとんどの兵馬を失ってしまいました。それから、走って民家に入り、座ってから鎧を脱ぐと、全身に十一か所の刀傷を負っていました。
正成は振り返って正季に言います。
「死んで何をしようと思うか」
正季は笑って言いました。
「願うところ、七回生まれ変わっても人間に生まれ変わり、国に対する敵を討ち滅ぼそう」
正成は喜びながら言いました。
「私の心も同じである」
そう言って、弟と共に刺し違えて亡くなりました。
正成は四十三歳、正季は三十二歳、一族十六人、残った兵五十余人、皆ここで亡くなります。
陛下は、そのことを知り、正成たちの死を悲しみ嘆いて止むことがありませんでした。
それから正三位、左近衛中将を正成に贈ります。
明治五年には詔して、湊川神社を建てて正成を祀り、別格官幣社に並べられました。明治十三年には正一位が贈られました。
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