第二章 幼学綱要を読む

【忠節(ちゅうせつ)・第二】

○国史

大鏡おおかがみ左大臣時平さだいじんときひら

【18】「菅原道真(すがわらのみちざね)」

道真(みちざね)は五朝(ごちょう)である清和天皇(せいわてんのう)、陽成天皇(ようぜいてんのう)、光孝天皇(こうこうてんのう)、宇多天皇(うだてんのう)、醍醐天皇(だいごてんのう)にお仕えし、最も宇多天皇(うだてんのう)に信頼されて仕事を任され、陛下を助けて不正を正すことにおいて、間違いは一つもありませんでした。

太宰府(だざいふ)では家の門を閉じて外に出ることはありません。詩文(しぶん)や書画(しょが)を書(か)いて、自らを励(はげ)ましながらも陛下に対して忠実で、仁愛の気持ちは全く変わることがありませんでした。

九月十日、詩を書いて言います。

「去年今夜侍清涼。秋思詩篇独断腸。恩賜御衣今在此。捧持毎日拝餘香

この詩を聞いた人は皆、涙を流しました。醍醐天皇(だいごてんのう)の御代(みよ)の時に詔(みことのり)して、道真は元の官職に戻され、正二位の官位を贈られました。

それから、一条天皇(いちじょうてんのう)の御代には正一位、太政大臣(だじょうだいじん)の官職を贈られます。

村上天皇(むらかみてんのう)の御代になると、京都の北野にお祀りするための天満神社が建てられ、歴代の陛下が神社に奉幣(ほうべい)をお与えになることは絶えることがありませんでした。

明治四年には詔して、その神社は官幣中社に並べられました。


※1「去年の今頃の夜に、私は清涼殿で君にお仕えしていました。歌会の「秋思」の詩では、独り悲しい詩を歌いました。その時、君に賜った御衣が今ここに在ります。それを太宰府のこの地で捧げ持ち、毎日、君の残りの香を懐かしんでいます」