第二章 晴美と壁
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お稽古が終わるまでまだ十数分間残っていた。晴美は道具を箱に収めた。そして、左右の人に目を遣った。二人とも女性だ。それも晴美とはあまり歳が開いていない二十代のようだ。
晴美は左利きなので自然と左側の女性を見た。その女性は髪の毛をアップにして明るいブルーのドット柄のバレッタで止めている。後れ毛が項に綺麗に収まっている。横顔しか見えないが、鼻が高いのがよく目立った。
それから右側の女性を見た。彼女の髪は長く、肩まで垂れ下がっている。鼻の高さは低めである。二人はすでに行書に入っており、滑らかな小筆捌きに、晴美は夢を見ているようにうっとりとなった。二人とも長く書道を習っているのに違いない。その書を見ていると「私も早く二人みたいになりたい!」そんな思いが痛烈に心に迫ってくるのであった。
二人ともひたすら自分の書の世界に酔っているようだ。新入りの晴美に見詰められても何の反応も示さなかった。晴美は友達になるのなら、この二人を攻めてみようと思った。
何か、言葉をかけようとしても、晴美の口が緊張して開かない。晴美は自分で自分がもどかしい。
〈初日だもの。これからチャンスはたっぷりとある。焦るな〉
そう自分の胸に言い聞かせた。
「お母さん、書道、面白かったわ。一生懸命に書いたので芳野先生に褒められちゃった。まだ最初のひらがな五十音の『あ』だけどね」
自宅に戻った晴美は緊張がすっかり空に飛び、開口一番、母に教室の様子を話した。
「まぁ、それはよかったこと。晴ちゃんにはきちんとした目的があるのだからね」
「うん。友達のことでしょう。さっそく考えたのよ。左右に座っている二人はどうかなと」
「まぁ、晴ちゃんたら、初日から考えたの。抜け目ないわね。たいしたものだわ。そうよ、積極的になりなさいよ。そういうことは自分から待っていたら、何も変わらないわ。まずこうと思ったら自分から攻めていかないとね。母さんもひとまず安心したわ。でも、勝負はこれから。しっかり頑張りなさいね」
「私、『円い町』の町民になりたいもの……。それだけに必死なのよ」
晴美は母に励まされて、泉のように意欲が溢れてくるのだった。夕食の折、家族みんなにも話した。全員ふうーっと息を吐いた。
あくる日は休みであった。しかし、晴美はゆっくり休んでいる訳にはいかなかった。明日はデイケアに行く日だ。健常者より緊張は感じないが、それでも時が経つにつれ、晴美の顔にはじわじわと緊張の色が増してくる――。