盗人は縦横に山中を駆け抜け、見失ったと思うと思わぬ木の枝や石の上に降り立ち、高笑いをして振り返る。そうされると西行は生来の負けぬ気が頭をもたげ、意地になって盗人を追いかけた。

「ここだ」

いきなり背を衝かれてよろけそうになって立ち止まると、岩場の下にこんこんと清らかな水が湧いている泉があった。

水面に幾つかの輪が次々に描かれては消える。泉の底に幾つかの泉源があるらしい。息の上がった西行は立て続けに両手で冷たい水を掬って喉に流し込み、人心地がつくと、振り返って叫んだ。

「盗人め、米を返せっ」

相手は呆気にとられたような間抜けな表情を浮かべた。

「お主、阿呆か。お主がわしを捕まえられるものか。本寺の僧兵どもが総出でわしをふん縛って殺そうとした中を、わしは抜けてきたんだからな」 

西行はぎりぎり歯噛(はが)みし、悔しそうに言い返した。

「弓と馬さえあれば、できる。空を飛ぶ鷹や野を駆ける鹿に比べたら、お主を射るのなど、たやすいことだ」

「お主、坊主だろう」

盗人は谷に響き渡るほど大声で笑った。

「笑うな、米盗人米め」

「わしは盗人ではない、天狗だ。僧正坊(そうじょうぼう)だ」

「僧正坊(そうじょうぼう)?」

「正しい僧、と書く」

今度は西行が吹きだした。

「正しい僧? 米を盗んだくせに」

「わしの腹の中は真っ黒だがな。お主は?」

「西行。西へ行く、と書く」

僧正坊が小気味よさげに笑った。

「西方浄土に行くには、まだまだ修行が足らんな。食い物を取られたくらいで、執念深く人を追いかけるやつが」

笑い声を残して、ひゅん、と高い枝に飛びついた僧正坊は、そのまま消え去った。

我に返った西行は、その後帰り路を見つけ庵にたどり着くまで、ひどく難渋(なんじゅう)したのである。

 

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