本書に記している事実は、私が心の中に懸命に封じ込めようとしてきたことです。まるで臭い物に蓋をするかのように、ずっと避けていた気がしますが、私は無理をし続けていたと思います。
〝無理〟は続かないものです。無理に〝無理〟を続けようとしたら、必ず故障が起きます。順調に生活が送れている時は、〝無理〟をする必要はないかもしれません。
しかし、不本意な出来事、つまり私という存在が尊重されないような理不尽な出来事(前著『人災 あるうつ病患者の告発』を参照)が、再び起きてしまうと、それがきっかけとなり、〝無理〟に〝無理〟を重ねなければならなくなります。
そして、やがては飽和状態という限界を超えてしまうでしょう。その後に起きることは、決して望ましいことではないはずです。そのような事態だけは、絶対に避けなければなりません。だから、私はもう〝無理〟をするのはやめることにしました。
両親のことは墓場まで持っていくつもりでしたが、今はむしろ、誰かに話したいし聞いてほしい。そして、私の両親がどんな人たちだったか、私に何をしたかということを記録に残したいと思っています。
この手記を書くことは、長い間、自分の中に閉じ込めてきたものを外に吐き出す作業だったと思います。辛かった過去に向き合い書き綴ることは辛いことではありますが、この作業をしないと、すっきりした気分にはなれないでしょう。
私はスッキリした気持ちで、前に進んでいきたいのです。
私はこの手記を、私の両親の言動により、人生を滅茶苦茶に狂わされてしまった兄の元妻、マキ子さん(仮名)に捧げたいと思います。
第一部 我慢の子ども時代
一九五九年二月、幸か不幸か、私はこの世に生を受けてしまった。
自分の意志や存在が尊重されないような、不本意な人生の始まりとも知らず、私はのん気に元気な産声をあげた。
私が生まれたのは、梵志(仮名)という非常に珍しい名字の家だった。私は三人きょうだいの末っ子で、二女。姉は私より約六年上で、兄は約四年七カ月上である。
父は一九二二年生まれで、職業は私立大学の先生。母は一九二九年生まれで専業主婦。表向きは何の問題もなさそうな、とても理想的な家庭に思える。