でも我が家のための買い物も「図書館」も母の日課の一つだ。
こうして、また、彼女は自らの行動範囲に制限をかけた。コーピング(自分の行動に自律的に対処するというような意味)である。
■しかし、住み慣れていない場所でも母は家に戻れるのだろうか?
▲「どうして帰れるのか」の問いに「匂いがする」と言った。
情緒的・感覚的また比喩的な言葉だが、それが真実なのではないか。
■安心できる場所には、安心できるにおいがあるのだという。
それが「我が家」だということだろうか?
■大井玄さん2は「知覚が期待によって左右されるという認識は、認知研究の基本である」というハーバード大学の神経生理・心理学教授のスティーブン・コスリンの認知メカニズムを紹介している。すなわち、ひとは「見ているものをみているのではなく、見たいものを見ている」のだと。
★脳は現実を追認する……。
■見たいものをみている……。
▲すなわち、帰りたい場所に帰る。
では帰りたい場所は何か、どこか?
母は昔住んだ「駒込」の話をする。しかし「駒込に戻る」とは、いわない。
駒込はにおいのする帰りたい場所ではないのかもしれない。
■境界性パーソナリティ障害(BPD)と承認
▲シャーリー・Y・マニング3は「承認は感情を落ち着かせることに役立ち、BPDをもつ人にとってだけでなく、誰にとっても、感情をより扱いやすいものにする」と述べる。
どうも大切なのは、私たちと認知症高齢者の間に「承認」の関係があるかどうかではないか。
仮説的に言うならば人は承認(大丈夫、よくやっているねという言葉をかけてくれる場所や関係)してくれる人がいる場所に帰りたいのではないかと私は思う。