小学校三年生の時、受け持ちの先生が植物採集の仕方を教えてくれました。それから毎年夏休みになると、一人で道端や野原の雑草を採っては、毎日新聞紙を取り替えて標本を作っていました。

別に夏休みに何をしなさいと言われなかったのですが、それが中学三年生の夏まで、毎年夏休みの仕事でした。

その私は、七十九歳になって本を一冊書きました。『産み方は生き方』といいます。これは長年助産師をして、特に六十一歳から開業してからそのお仕事で感じたことを書いた本です。そのほかに電子書籍で、二〇二〇年十二月二十二日、二月十五日に私が脳卒中を発症した時からの体験を書きました(『79歳産婆がすすめる 脳卒中のリハビリを楽しく乗り越える方法』)。

今になって文章が書きたくて、書きたくてしかたがなくなり書いているのです。本当に不思議です。

振り返ってみましたら、今まで結構勉強もしてきたと思います。足利市に疎開をしてきてから、足利市立小学校、中学校、そして栃木県立足利女子高等学校を卒業しました。そして、なんとか看護短大を受験して合格しました。

その看護短大は東京新宿区中落合聖母病院のすぐそばにあります。フランス系修道女関連の聖母女子短期大学です。病院はインターナショナルで、国際色豊かな患者さんが入院してきます。

私が特に国際的な学校を選んだわけではなかったのですが、たまたま国際的だったのです。その時の病棟の婦長は皆外国人、内科の婦長はドイツ人、二階の外国人病棟の婦長はアメリカ人、総婦長はイタリア人でした。またフランス人、カナダ人もおりました。

私はここに来て今までより視野が広くなるのを感じました。もし周りの人々がみんな日本人であれば、偏見と差別があったかもしれません。ここの学校に来て、私も外国人であるという考え方ができるようになったことが、大変よかったと思います。

【前回の記事を読む】負けず嫌いが高じて日本の小学校一年生を二回行くことに!?

【イチオシ連載】結婚してから35年、「愛」はなくとも「情」は生まれる

【注目記事】私だけが何も知らなかった…真実は辛すぎて部屋でひとり、声を殺して毎日泣いた