父を送る

七輪を買いに行ってしばらく経っての事です。その悲しみは予兆も無くやって来ました。授業中に先生から「すぐ家に帰りなさい」と言われたのです。

学校は町の南の外れで、私の家は北の外れの坂の下です。息を切らせて走って帰ると、次兄は先に家に帰っていました。

兄は私の帰りを待っていたかのように顔を見るなり「お父ちゃんが倒れた」とポツンと言って、足早に一番奥の小さな自分の部屋に入ってしまいました。

家には近所の方が何人も集まっていました。母は家に帰ったばかりのようでした。近所の方に、父がどんな状況で倒れていたのかを聞いている所でした。

父は、家の裏にある用水路の傍に倒れていたそうです。通り掛かりの近所の方が家まで運んで下さり、そして母に知らせて下さったのです。

父はあがり口に近い八畳の座敷で、布団に寝ていました。私は「お父ちゃん」「お父ちゃん」と耳元で呼び掛けましたが、何の反応も無くいつもの穏やかな顔で眠っているようでした。

医者の診察は、脳溢血と言う事でした。そして「意識が戻り、起きられる状態になっても、半身は麻痺が残り動かないでしょう」と言う診断でした。母はこの後父の対応にどうしたら良いものか、困り果てていました。

父が倒れた日、台所の新しい七輪に、程良く焼けたサツマイモが二本載っていました。父が昼ご飯にしようと自分で焼いたサツマイモに違いありません。

弟と妹はお腹が空いていたのか、それをじっと見ていましたが、「お父ちゃんにあげようね」と私が言うと「うん。そうする」と言い、二人はお皿にそれを載せて父の枕元に置きました。

突然の事で家の中が落ち着かない中、二日後に上の兄が帰ってきました。父はそれを待っていたかのように、兄の声を聞くと、静かに息を引き取りました。

「親孝行はこれからなのに……」と兄はとても残念がって、ずっと父のそばで正座のまま下を向いて泣いていました。

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