大好きな先生のやさしいウソ

僕は勉強は嫌いで、特に算数が苦手だった。ただ不思議なことに、プリントでする計算はすぐに答えは出せなかったが、駄菓子屋での買い物では、すぐに計算することができた。

特に2年生から始まった九九が僕にとっては難敵だった。それまで足し算や引き算を両手を使いながらやっていた僕にとって、数字を掛け合わせると手の指では足らなくなり、もうパニックであった。

学校では何度も九九の暗唱のテストをしたが、僕は6の段まではすらすら言うことができたけど、7の段に入ると何度もつっかえて間違ってばかりだった。父はそんな僕を見兼ね、一緒にお風呂に入ると、九九を全部言えるまで湯船から出てはいけないというルールを作った。

父と二人で湯船に肩までつかりながら、僕はひたすら九九を2の段から言い続けた。途中でつかえたり、失敗するとまた2の段から再スタートした。これが毎日続いたのだ。

でも、毎回7の段でつまずき、僕も父も、お風呂から上がる頃は顔が真っ赤になりのぼせていた。今思えばもっと効率的で、体にいい暗記方法があったと思う。しかし、父は九九ができない僕に、体を張って真剣に向き合ってくれる人であった。

当時、僕が通っていた小学校では、2年生になるとサッカーチームかリトルリーグに入ることができた。僕は関西人としては意外に思われるかもしれないが、読売ジャイアンツの大ファンで、ジャイアンツが負けると不機嫌になった。

特にクロマティという助っ人外国人が大好きで、新聞紙を丸めてバットにして振ってみたり、ホームランを打ったあとのガッツポーズのモノマネをよくしていた。だから当然、僕の中では野球ができると思っていた。

ある日、学校で配られた保護者向けのプリントを食事の準備をしている母に渡し、「ねえ、お母さん、僕リトルリーグに入りたい。ええやろ」と聞いた。

「ええよ、頑張りや」ということばが返ってくるものとだと信じていた。しかし、返ってきた返事は予想もしていないものであった。

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