その上で、日々特に意識する思考対象としては、仏・お大師様・心経を背景とした心理的な意識から生じる事柄の思索について――

たとえば、へんろとは命とは、仏とは悟りとは、心経とは、そしてその日々の思考の変化や意識の変化に気を付けて、その結果を自分のための心の記録として智慧化する。

生きていく上で行動する事は、未知の危険苦難に遭遇し、体験が増す事であり、環境に即応する智慧の獲得。だからこそ、へんろ旅をしたいという欲求は、良い生活環境を獲得するために、ひたすら歩き、ひたすら考える、等です。

出会いについて意識する事柄

へんろ旅は、その道すがら実に多くの人や物との出会いがあります。その際の対応の基本的な心得は「一期一会」。それが、四国路へんろ「同行二人」の旅での出会いで大切な点です。

一期一会だからこそ、そこで会う他者を理解する基本姿勢は十人十色、個性の尊重が基本。人それぞれの物差し(知識と智慧の物差し)を常に意識する様にしたいものです。

物差しの方便として、お互いの日常に存在する神(愛)・仏(慈悲)、あるいは法律・道徳・宗教等を無視しない事です。

利己的な自己主張を、絶対常識と意識して他者を理解し評価する事は、個性無視の独善であるとの心を保持しましょう。出会いとは、偶然の必然、必然の偶然であり、今同じ空気、同じ光の中で、同じ場所、同じ時間の今を、共有する一つの必然の縁なのです。

縁とは、生まれた日時・場所・命の諸々が違う者同士が偶然に出会い、同じ時空を共有する事の不思議さです。

仏教における因縁とは、因が結果として現れる直接的な原因となる要因(意識と行動)であり未来の現実であるのに対し、縁は結果に影響を生じさせる環境要因の偶然的干渉(状況と位置)であり現在の実態。

出会いの縁は身心が動く事の結果、出会う現象であり、同じ時空と環境を共有する縁あっての出会いと捉え、謙虚な心で挨拶しましょう。出会いの縁は、別れの縁でもあるのですから。

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