ここまでこの戦いについて読みきったひとはいなかったであろうとも思った。館長の解説は整然として、しかも合理的に理解できる内容であった。
次に悠子と優は信長の仕事とした小牧山城に大きな関心を抱いた。現地調査をしたいと考え中川館長に相談すると小牧市教育委員会の大場さんを紹介してくれた。
館長の話では信長が築いた小牧山城の調査をとても熱心に取り組んでいるとのことでさっそく現地に二人で赴いた。
大場さんは三十代半ばの女性だった。悠子は同じ世代の女性が信長の歴史に向き合って仕事をしていることに共感を覚え、親しみを感じた。
最初は小牧市役所玄関ホールでお会いした。挨拶が終わると大場さんは早速行動を開始した。
「さあ私の後ろについて来て下さい」
市役所の玄関からさっさと歩き始めた。市役所のすぐ北側に小牧山がある。小牧山の山麓につくと一直線の山道が現れた。
大場さんは慣れた感じでその山道を登り始めた。私たちは遅れまいと懸命に後をついていった。直線の山道は人がすれ違いできる幅であった。上がりやすいように段の上に小丸太が渡してある。中腹の踊り場まで約八分足らずの時間であった。
ここで大場さんは立ち止まり振り返って私たちを待ってくれた。二人はその場所にたどりついて一呼吸をした。振り返って山下を眺めると、すぐ直下に市庁舎が見えた。その向こうには市街地があり、濃尾平野が一望できた。
「直線の登りはここまでです。ここから山頂までは少しジグザグに登って行きます」
大場さんの話を聞きながら三人はさらに進んだ。
「あそこを見てください。大きな石が並んで組んであります。最初は小さな石に見えたのですが周りを掘り下げてみたら大石で組んでいたことが分かりました。天守の足固めの一部です。信長が築いたものです。石の大きさは二トン位で、なかには高さ三、八メートルの巨大な石もあります」
大場さんの説明に悠子と優は驚いていた。山の頂上近くまでどうやって運び上げたか、何故そうしたのか分からないでいた。
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