知らぬが佛と知ってる佛
二度目の癌闘病記
「大きく息を吸って、ゆっくり吐いて、そこで止めてください」
「はい、ご苦労様、これで終わりました」
立位と背臥位で腹部のX線撮影が終わる数分間のうちに、二○○六年の旅の追憶と、一度目の癌罹患の始終が君の頭を駆け抜けていった。
「さてこれからどうしたもんだろう」
と、君は【知ってる佛】に問いかけるが、返事は返ってこない。
とりあえず病室に戻ろうとエレベーターを待つうちに、君の頭は、先刻見た巨大な癌腫の画像を見てつぶやいた「参った」の語尾が、先刻とは反対に消え失せるように下がることを意識しながら、すでに手遅れかもしれない病態に関して、当然持つべき悲壮感とは裏腹に、【二人の佛】に諦念を呼び覚まされたのであろうか、君の思考の枠はかえってスッカラカーンの空っぽの状態になっていた。
多分向後の成り行きはすべて【知ってる佛】に身を任せてしまったからであろう。病棟階に向かうエレベーターの籠には君の他に一人の同乗者がいた。下部消化器外科に所属する若きドクター、後藤医師だ。目的階は同じだった。
譲り合って籠を降り、そのまま先だって病室に向かう君に、足並みを揃え平列状態になったのを見計らって、後藤医師は君に、
「失礼ですが、真坂さんですね」と声をかけた。
「エー はい、真坂ですが」
「ちょっとお話があるのですが、病室でお話しさせてもらってもいいですか」
君は、相手はドクターであると直観的にとらえ、
「どうぞ、どうぞ」
と、招じ入れ、君はベッドの裾へ、後藤医師は個室備え付けのソファーに遠慮っぽく座って向き合った。
「初めまして、下部消化器外科の後藤です」
と、型通り名刹を示して自己紹介をした後藤医師につられて、君も、
「初めまして、真坂です。よろしくお願いします」と、自分は現役を退いた老骨のリハビリテーション科医であることを付け加えて自己紹介し、
『このイケメン先生の言うことをよく聞くんだよ』
と、今しがたまで寡黙であった【知ってる佛】のささやきに頷きながら、後藤医師の次の言葉を待った。
後藤医師は、すでに君の病状の視覚的な情報はすべて手中にしてあった。消化器内科から連絡を受けて大腸内視鏡の部屋に立ち会ってもいた。君の右の視野の片隅に第二の人物として現れたのは、ほかならぬ後藤医師である。
あの後、後藤医師は、ディスプレイに映った腫瘍を見て直ちに腹部Ⅹ線撮影のオーダーを出し、その画像を別室で見終わってすぐ、Ⅹ線室から病室に向かう君を追いかけた。
「そう、確か真坂さんはドクターでいらっしゃいましたね」