長瀬 律

少年時代の僕には二人の母親がいて、同い年の妹がいた。

芽衣おばさんは笑顔が絶えないとても明るい人だった。笑うと白い歯並びがチャーミングで、子供の僕から見ても魅力的な女性だった。

そんなよく笑う母親とは対照的に、沙耶伽は口数が少ない女の子だった。活発でやんちゃで、目立ちたがり屋の僕とは真逆な性格だった。それでも僕は沙耶伽と一緒に過ごすことが楽しかったし、彼女も僕と遊ぶのをいやがってはいなかったと思う。

人見知りの沙耶伽も、僕の両親の前では遠慮がなかった。学校から帰ると母親が居ない自宅には戻らず、ランドセルを僕の家に置き、一緒におやつを食べてそろばん塾に通った。

沙耶伽の父親は職人気質の人だった。お店の接客は芽衣おばさんに任せて、まな板の上に置かれた肉の塊に包丁を入れる。白衣姿で、トレーに部位を仕分けする姿は、凛とした職人の風格があった。

おじさんはお店を開く都合で八事に引っ越してきたが、この町の歴史に魅了されていた。

暇を見つけては興正寺の界隈を歩いて回った。

「律くん。八事にはおもしろい歴史が隠されているんだ」

子供の僕相手にもいろんな話を聞かせてくれた。そのおじさんが、僕たちが四年生の夏休みに軽トラックで事故を起こした。それ以来右膝が曲がらなくなり、足を引きずって歩くようになった。

長時間の立ち仕事が困難になり、芽衣おばさんが肉の捌(さば)き方を覚え、おじさんの仕事も賄(まかな)ってお店を切り盛りしていた。おばさんの接客がうまかったのか、店は相変わらず繁盛していた。

おじさんの八事探索は足を悪くしてからも続いた。出歩く度に沙耶伽を付き添わせ、彼女の肩に手をかけて歩いていた。沙耶伽も遊びたい盛りだったと思う。それでも父親を不憫に思ってか、一言も不満を口にすることなくおじさんの散策につき合っていた。

出版社に勤める僕のおやじは、とても楽しい人だった。穏やかで、怒った姿を想像することができない。おふくろに叱られ拗ねている僕の隣に座り、不満を聞いてくれた後、おふくろがどんな思いで僕を叱ったかを諭してくれる。そんな父親だった。

人生を楽しむことに長けたおやじは、僕に多くの遊びを教えてくれた。スキー、サッカー、野球、ギター、将棋、ポーカー。思春期になり男女の戸惑いを覚えるまで、おやじと遊ぶ僕の隣にはいつも沙耶伽がいた。おふくろも口煩くはあったが、一人っ子の僕に人並み以上の愛情を注いでくれた。

そんな子煩悩な両親に育てられ、なに不自由なく少年期を過ごした僕と違い、沙耶伽の家では大変な問題が持ち上がっていた。