山内家は以前の山内家ではなくなってしまう。小学校はまだ週休二日制ではなかった。土曜日は半ドンと呼ばれ、午前中だけ学校で授業を受けた。
半ドンの日は集団で下校する。登校するとき元気がなかった沙耶伽が気にかかり、僕は何度も話しかけてみた。しかし沙耶伽はいつも以上に無口で、下を向いて生返事を繰り返すばかりだった。
その日の夜、テレビでバラエティ番組を観ていた時、沙耶伽が泣きながら家に飛び込んできた。驚いた両親は山内家に駆けつけた。僕も飛び出そうとしたが、おふくろに止められ家の中に引き戻された。
テレビからは五人組のコントに沸き起こる笑い声が聞こえていた。沙耶伽は裸足の冷たさにも気づくことなく、膝を抱えて泣いていた。僕はパジャマ姿の沙耶伽に毛布を掛け、どうしたのかと訊ねた。
「お父さんがお母さんの髪の毛を引っ張って引きずりまわしている」
沙耶伽はそれだけ言うと膝に顔を伏せて嗚咽した。僕は何も言えなかったし、何もできなかった。ただ沙耶伽の隣に座って耳障りなテレビを消した。
おじさんは酒乱だった。
事故以降、身体が不自由になったおじさんは酒量が増えた。芽衣おばさんはお酒のことを「狂い水」と呼んだ。足が不自由になったおじさんを献身的に支えるおばさんが、客に色目を使ったと言われて殴られる。そんな理不尽な暴力に子供の僕でさえ憤りを覚えた。
おじさんが暴れる度、沙耶伽は僕の家に避難し、おやじやおふくろが止めに走った。父親が母親を殴る姿を見せたくなかったのか、迷惑を掛けることを躊躇(ためら)ったのか、沙耶伽だけを僕の家に避難させ、芽衣おばさんが逃げ込んでくることは一度もなかった。
ただおじさんの暴力に三軒隣の自分の家で耐え忍んでいた。芽衣おばさんの身体に青あざが絶える日がなく、綺麗だった白い前歯も欠けてしまった。