「そこまでしなくてもいいけどさぁ」と言ってしばらくはその話題をしないのだが、しばらくするとまた「毎日、毎日、タッキーの家は機械の音でうるさいんだよ」と言ってくる。その度に、いろいろな言い訳を僕はしていた。
「今だけだよ、夜まで仕事をするのは。そのうちまた暇になるんだからさぁ」
「夜はテレビを遅くまで、見るもんなんだ。テレビ見てれば気にならないだろ」
しかしいつも極めつけの言い訳は「うちはそれで食ってんだからさぁ、勘弁してくれよ」だった。
これがマコトには一番効くのだが、僕にしてみれば本当だったし、家族を自分がかばっているんだという小さな抵抗をしている気になっていたのかもしれない。いずれにしても平和な言い合いだった。このことで僕もマコトもお互いに心に恨みの根など持ったことはない。
朝が早いマコトのお父さんには迷惑なことだったかもしれないが。しかし父さんの工場は、残業、残業が多かった時代もあったけれども、僕が中学に上がる頃には、もう工場は暇になっていて、マコトからも機械がうるさいと言われるようなことはなくなった。
マコトの家には母親がいなかった。理由は知らないし、聞いたことはない。ただ塾に行けるほど裕福でないことは確かだった。マコトはお父さんの影響でプロレスが好きだった。よく僕らにプロレスの技の話、特にバックドロップの見事さを興奮して話すのだ。
「いいかい、バックドロップというのはゲイジュツなんだ」
マコトはこの時、芸術の意味なんか絶対知らなかったと思う。
ユーの家は普通だったと思う。普通といっても何をもって普通かは分からないけれども、お父さんもいて、お母さんもいて、家は大きくはないけれど、うちの家よりもしっかりしているし、お父さんも毎朝、どこかに働きに行っていた。サラリーマンだったのだと思う。