一方のサラリーマンは生涯現役とはいかず、運良く再雇用される人もいるが、いずれは退職となり、その後の生き方が 問題となってくる。
私も退職までの長い間をサラリーマンで過ごしてきた。本当の気持ちからすると、生涯現役で過ごせる農林漁業などの第一次産業の従事者が、とても羨ましく思えた時もあった。
つまり、定年がないところが大きいが、自分の本意で継続するもしないも本人次第となるところである。
人生百年時代といわれ退職年齢は六十歳から引き上げられてはいるが、コロナ禍の社会情勢からすると、雇用関係を継続することが非常に困難な時代となってきている。私には百年という言葉だけが、大踊りしていて空回りしている感が強い。
このような厳しい世の中でもうまく世渡りできれば良いが、多くの人は路頭に迷うことにもなりかねない。現実的には、サービス業などは運転資金の確保も難しく、倒産や廃業に追い込まれている。政治的な支援策を継続的に講じなければ、国自体さえも維持できなくなる可能性すらある。
以上のことを総合的に考え偏見を覚悟して言うと、私が政治に一番望んでいることは、サラリーマンに限らず現役を退いた後、その後の人生を人として生き甲斐を持って社会に貢献できる生き方をしてこそ、人生百年時代といえるのではないかと。
いずれの職業の人たちも退職後の選択は、人それぞれの考えで、それぞれの責任を持って生活していくものだとする社会構造になっているように思えてならない。国を支える核となる働きをした後は、ご自由にどうぞと言われているようでならない。
住み辛い世の中では非常に困るのである。人生設計が国の有り様(よう)として政治的に世の中に組み込まれたレールが敷かれていれば、生涯を安心して暮らせることに繋がる。つまり生きていて一番不安なことは、先が見えない生活である。
このように、退職後もいろいろと考え不安を抱えながら日々を重ねてきているわけだが、そして、ようやく退職後の時間経過で、ボンヤリと浮かんできたものは、生き方の糧となるものは、人とのかかわりの中に、大きなヒントがあるように思えてきたことである。
それは簡単なアルバイトを続けながら、アンテナを張り続けてきた結果として退職後の約十年間の迷走期間にやってきた、東日本大震災を含めた度重なる災害の被災地でのボランティア活動である。