物質的に
ベルリンの壁、国境閉鎖の壁、収容所の壁のように、現実に存在する壁についてである。
これによって内外が遮断される。壁を破壊しない限り、向こうには移れない。この際、人間の英知は壁の向こうを想像することが可能である。自分が向こうの場にいると想像することができる。この際、壁は本人の思考から消失し、存在しないものになる。
こうなれば、壁は存在すると同時に、無となる。現実の壁、ベルリンで、ドイツは、前は自由な行き来ができたのに、突然、東西間遮断の壁を作った。同じドイツ国民でありながら、戦後、西ドイツは英・仏・米の3か国で分割管理され、東ドイツはソ連が管理区域として支配した。
西側は自由主義国家、東側はソビエト連邦共和制国家、両者間の壁は、現実に作られた。1961年から1989年まで続いた。この壁は東西ドイツ国民の壁、これが壊される時期が来たのである。
どれだけ歓喜したか、私はこの時の報道を嬉しく聞いた。また、知人から貰った、破壊された壁の一部、小さなコンクリートの5、6cmくらいのブロック、左右と後面はぎざぎざだが、前面には塗料が塗ってあった。厚い壁の表面部分である。
ドイツのユダヤ人収容所だったアウシュビッツなどは、厳しい壁で囲まれ、脱出できない。ゲシュタポが、夜間、霧に紛れて、気づかぬうちに、ユダヤ人を捕らえて収容所に入れた。かろうじて生き残った精神科医フランクルの著書『夜と霧』(池田香代子訳、みすず書房、2002年)の詳細な記録で知ることができる。この内容は本書の「二、屠殺と虐殺」でより詳しく書きたいと思う。
精神病院の閉鎖病棟は最近少なくなる傾向だが、この病棟に収容された患者は、厚い壁で仕切られた個室にいる。自由はなく、看護人とともに、外に出る。私はインターンの時、都立のとある病院の閉鎖病棟を見回り、個室内の患者の状況を見た経験がある。詳細については触れない。
留置場、刑務所に収容された方は、また抜け出ることのできない壁の中にいる。監視員の監視下で脱出はできない。また外部の者は、許可を得れば収容者との間のわずかに顔が見える程度の壁越しに、短時間の会話が可能であるが、ご両人の心の壁はどのようなものであろうか。
存在する壁は壊さない限り存在する。しかし、素粒子、降りそそぐ宇宙線は破壊なしに通過できる。この際、壁は存在するとともに存在しないと同じとなる。