晃司が勤める支店は、リッチモンド市の一番西南にあるこの漁師町にあり、モンクトンストリートに面していた。昔ながらの日系人の店がずらりと並んでいる。すぐ裏側はフレーザー川に面していて、漁師たちの船が着いては魚を売っていた。

カナダでは鮭がたくさん獲れるので、鮭のさつま揚げを手作りしている。それぞれの日系人の家庭では薄紅色の美味しいさつま揚げを、お正月や大きな集まりには必ず手作りしている。そうとは知らず、父がもたせてくれた小骨が入った灰色のイワシのさつま揚げを支店長宅へもって行ったが、きっと口に合わなかったかもしれない。

後で知り合うことになるカナダのお母さんにさつま揚げの作り方を教わり、その後いろいろな国に行っても、その国で獲れる魚のすり身でさつま揚げを作り続けている。

晃司の海外勤務は五か国目だが、カナダ人の英語は速くて聞き取りにくく、なかなか馴染めず苦労していた。高校の夜間に英語を教えるクラスがあると秘書に聞いて、二人で通うことにした。

最初同じクラスに入ったが紗季にはレベルが高すぎたので、その下のクラスに移った。そのクラスには日本人の大学の先生と子連れの若い奥さんが二人いた。他にはインド・中国・フィリピンなどのアジア系や、ロシア・中南米からの移民の人たちが学びに来ていた。ユーモアのある、金髪のおかっぱ頭の先生は、面白おかしく英語を教えてくれた。

カナダの生活や英語に少し慣れた頃、歌が好きな晃司はシャーキーに、仏教会で毎週日曜日にあるカラオケクラブに誘われた。紗季も歌うのは好きなので二人で行くことになった。

さぞや賑やかなことだろうと思って部屋に入ると、誰かがマイクを持って歌い、他の人はひたすらノートに書き物をしている。まるで何かの勉強会のようだ。その頃は今のようにテレビ画面に歌詞が流れて、それを見ながら歌うというところまではいっていなかった。

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