次の瞬間、亜美はすずらんの上を跳んだ。突き飛ばされた亜美の身体はなぜかスローモーションでゆっくりと宙に浮いており、風に揺れるすずらんの音はなく、父はどうなったかと考えた途端、無音の世界からいきなり耳に飛び込んできたのはボン!という奇妙な音、雄一の首が不自然な角度に曲がったのを亜美は見た。
ダンプカーは雄一の身体を轢いて原っぱに突っ込み、しばらくすずらんの中を走って止まった。
気がつくと亜美はひとり原っぱに横たわっていた。事故を見た記憶は消えていた。辺り一面に咲くすずらん。小さな花は風に吹かれてひっきりなしにそよいでいるのに、耳をふさがれてでもいるかのように音がしない。その不思議な無音の世界を亜美が意識した途端、風の音がした。
─亜美─
「お父さん」
姿はないがそれはまぎれもなく雄一の声だった。温泉宿は消え、辺りは見渡す限りのすずらん。
「お父さんどこ?」
心細くなってもう一度呼ぶが返事はない。あきらめて歩き出す亜美。しばらくすると一本の細い道に出た。戸惑う亜美、道をたどっていけばいいのか原っぱを進むべきか。
「お父さん?」
小さな胸に押し寄せる抱えきれないほどの不安。
「お父さん!」
大きな目に涙がふくれ上がり長いまつ毛を濡らした。涙はあとからあとからこぼれ落ち、彼女の空色の運動靴に当たって散った。