「ここにいたのか亜美」
空き地に娘の姿を見つけた雄一はほっと胸をなで下ろした。
病を患(わずら)っていた雄一の妻、亜矢は、その命を亜美の出生と引き換えにした。生まれ落ちた赤ん坊を男手一つで育ててきた九年の歳月は短くなかった。
新生児から乳児、トコトコ歩き出した一歳の頃、欠かさず送り迎えした保育園、そしてようやく小学校入学。働きながら男盛りの三十代を再婚も考えずに過ごしてきた雄一にとって、亜美はかけがえのない宝であり、亡き妻亜矢の大事な忘れ形見だった。
「ここにいたのか」
言いながら雄一は、スリッパのまま出てきてしまったことに気づいて困ったように足を上げた。
「何してたんだ」
土手の勾配(こうばい)を下りながら亜美に話し掛ける雄一。
「お父さん、これなんていう花?」
雄一は浴衣の裾を邪魔そうに手で払いながら亜美に歩み寄り、親子は少しずつ距離を縮めていった。
「ああ、すずらんだな」
「すずらんか」
花の名前がわかった亜美は嬉しそうに身をかがめた。
「すごいな、群生している」
雄一がそう言った時だった。亜美の後方わずか数メートル、斜面に停めてあった十トンダンプがギギッといやらしい音を立てた。飲酒した運転手が甘く引いたサイドブレーキが下りたのだ。
雄一が気づいた時、ダンプカーは巨大なタイヤを回転させて後ろへと加速し出していた、それは真っすぐ亜美を目掛けていた。とっさの時、人は声を失う。息を呑んだ雄一は無言で土を蹴っていた。