箱から一歩下がって家臣に目を当て「張軌と話がしたい、其の方ら暫く下がってよい」と、声を掛けた。
目の届く場所に兵士の居ないのを確認した李徳裕が、張軌を見た。
「何時ぞやの姑か」
姑の変容ぶりを目にしたためか、李徳裕の声が多少上ずって聞こえた。
「はい」
あらためて乗り出すように箱の中に目を注ぐ李徳裕の背に声が掛けられた。
「危険はないので、お手に取ってゆるりと観賞してはいかがでしょうか」
躊躇いながらも姑に目をやる李徳裕の心を見透かすような声が掛かった。
「はい、お気に召しますかどうか分かりませんが、取り敢えずお持ち帰り頂ければと思い……」
思案気に縄で縛られた姑に目を留めていた李徳裕の口から小さく声が漏れる。
「長安へ運んでくれ」
「承知しました。輸送の手筈はこちらで整えます。人目に付かぬよう別宅へお届けいたします」
顔を伏せたままではあったが張軌は、李徳裕の心の変化を感じ取っていた。
「早速、箱を運ぶ準備に取り掛かりますので、暫くお時間を」
張軌は幕の外に消え、後には木箱の中の姑が残された。李徳裕が箱の内に手を差し入れ、姑の頬に触れると身体がピクリと震え、口布を解くと大きく息が吸われる。
「名は何と言う」
「秋蝉(しゅうせん)と申します」か細く震える声が耳に残った。