ある時国語の授業で『浦島太郎』の劇をすることになりました。私は授業が終わった後、一人で職員室に行き、先生に「私は浦島太郎の乙姫様をやりたいです」と言ったことを記憶しています。私はやっぱりちょっとクラスメートと違っていたのかもしれません。いつも思ったことをすぐ発言するのです。それは今も同じです。
男尊女卑から看護短大へ
私は、小学三年から学校に行く前、家の廊下の拭き掃除、玄関の掃き掃除をしていました。学校から帰ると、お風呂桶に百五十回ポンプで水を溜め、薪で風呂を焚き、ご飯を薪で炊く仕事が待っていました。母は儒教の男尊女卑の社会で育ったため、男には絶対箒を持たせませんでした。家事など一切させなかったのです。
中学生になると兄達はそれなりに成績が良く、私も勉強をしたいと三畳の自分の部屋に入り机の前に座るのですが、自然に睡魔が訪れて、いつのまにか机で寝てしまっていました。今考えてもなぜかお布団の中で寝たことがないような気がします。勉強ができていないからお布団に入れなかったのかわからないのですが。
そんな中、中学校の社会の先生が「これからの女性は職業を持って自立することが大切」と話したので、私も自立しなければと思ったのでした。ただ実際には、大学に行かねば職業を持てません。残念ながら通っている高校は家庭科です。
両親が「女は早く嫁に行け」という考えでした。大学に行くには何を選ぶか? 教師になるか? いや私は教師にはなりたくない、弟が二人おり彼らの世話を焼くことならできるから、看護師になったらよいかもと思い、看護師の大学を目指すことにしました。
しかし家庭科の高校では、被服や食物などの授業時間はたくさんありましたが、大学入学のための主要科目である数学、物理、英語等の授業は普通科と比べると半分しかありません。入学受験には太刀打ちできない感じでした。
ただ、当時家庭科の友人の中に四人ほど大学に入りたい人がおりました。彼らと一緒になって、三年の夏休みに学校に行って、水を入れたバケツで足を冷やしながら、互いに受験勉強した思い出があります。そうして、四人は大学にめでたく合格しました