どきりとしたが振り向かなかった。お方が針仕事をしていたのを忘れていた。独り言が口からこぼれ落ちていたらしい。陣中にいたときは前後左右に目が届いたものだが、気が緩んでいるのだ。今なら確実に首を取られていた。戦が終わって、すっかり焼きが回ってしまったらしい。

お方は、毎日空ばかり眺めていてよいのでしょうかという一言を、声に出さずに飲み込んだようであった。片倉家はこれからの時代にも生き残らなければならぬ、当主がそんなことでお家は大丈夫なのか、とお方は言いたいのだ。証人となって江戸に行くのも、片倉家がこれからの時代にも生き残るためだ、と。

儂はお方のように話すことは得手ではない。だが言葉に出さないことは心にないことではないのだ。不甲斐ないおのれを辛がっているのだ。そんな泣き言を口に出すことなどできない相談だ。

お方の言いたいことはこういうことか? 親父どのが荒山の木を切り倒し、草を抜き、地をならして水を引き、苦労仕事をし終えて、種を蒔いてせがれに引き渡した、と? これからは戦とは違う腕が求められるのだ、と? いよいよこれからが正念場なのだ、と言いたいのか? 儂を戦しかできぬ男と思っているのか。

今までにない倦怠感といら立ちを何とかせねばならぬ。お方も儂の気鬱に活を入れるつもりなのであろうか。

「さかしらな口をきくな。そんなことは言われなくとも分かっておるわ。女子の分際で、控えておれ」

お方は黙って両手をついて叩頭した。

女子は聞いた風な正論を吐くものだ。儂は内から沸きのぼって来る力が欲しいのだ。それを待っているのだ。たとえば飯を炊く釜の蓋が湯気を吹いて持ち上がるような、そんな突き上げるものが無うては動けぬ性質なのだ。

証人と言えば、陸奥守さまのご正室愛姫(めごひめ)さまは、関白殿下の時代には聚楽第(じゅらくだい)の伊達屋敷で人質生活を送られ、徳川の天下となっても解放されることがない。仙台に戻ることもなく、そのまま京から江戸へと下って徳川の証人となられたのだ。

世の中が平らかになっても人質を送らねばならぬとは、まだまだ徳川と諸大名との力の差が小さいということか。それが事実かどうかはともかく、徳川は細心の注意を払っているのであろう。伊達さまでさえ温順に証人を送らねばならぬのだ。儂が出さずにすむことではない。

そのどうしようもない無力感や侘しさのやり場がないのだ。江戸は遠い。こうなって初めて、親父どのとお方がどれほど心の支えになっていたかに気がついた。

【前回の記事を読む】人質として江戸に留め置かれていたお姑さま。今度は私の番だ…。