それでも時間が経つに従い、だんだんと留美子にも冷静さが戻ってきた。
紗津季の父である権堂が家に来なくなってからもう随分と経つ。今更、過去のことをどうこう言われることは考えにくい。そうとなれば、やはり娘に何かあったのではないか。娘ももう年頃だし、自分のこともあり、娘もまさか不倫しているのではないか。病院で何か失敗したのではないか、などと不安が広がってくるのである。
留美子は、自分のせいだとの思いから罪悪感にさいなまれて半日を苦しんだ。そのぶん、そうではないと悟った途端、今度は娘の問題でこんなに心配させられていたのかとの思いが噴出して、怒りに変わりつつあった。
そこにようやく紗津季が帰宅したのだから、留美子の感情はもう抑えが利かなくなって、難詰する言葉となって出たのである。
ところが、紗津季にも何の心当たりもない。
「えっ、何? 何これ? 私、何にも知らない、分からない」
「何も知らないってことはないでしょっ! だって、弁護士から、あなたを名指しで、こんな郵便でくるなんて、ただごとじゃないじゃない! 正直におっしゃいっ!」
自分のせいだと思って半日も苦しんだことが、もう留美子の中では、紗津季のことで半日も悩んだという感覚になっている。
「ほんとに何も知らないってば」
「患者さんに何かしたとか、あるでしょ。まさか、不倫とかしてて、奥さんから訴えられてる、なんてことはないでしょうね。『何でも言ってよ』っていつも言ってるでしょ」
「でも、ほんとに何にも心当たりがないのよ。今、我儘ながん患者のおじいさんがいるけど、その人から訴えられるようなことをした覚えもないし……」
ということで、とにかく、この封筒を開けてみることにした。
封筒を開いて中から折りたたまれた書面を引き出し、恐る恐るそれを開くと、そこにはこう書かれていた。
「天地紗津季殿
〇年〇月〇日
故権堂栄蔵遺言執行者弁護士 長嶋貴文
拝啓 時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
突然このようなご連絡をさせていただき、驚かれたとは思いますが、〇年〇月〇日に権堂栄蔵氏が逝去され、当職がその遺言執行者となりましたので、この旨ご通知申し上げます。
なお、貴殿には、故人より遺産の贈与がありますので、当職まで、ご連絡いただければと存ずる次第です。
まずはご通知まで。
敬具」