とはっきり大きな声でそう言い放ってしまった。瞬く間に教室はしーんと静まり返り、一部の生徒たちから、なに? 転校生のくせにいきなり生意気なこと言ってるんじゃないよ! そんなふうに言っているような視線を感じた。

先生もぽかーんとして一瞬固まっていた。が、

「そ、そうね。でも全員走りなおすのも大変だから、昨年のリレーの選手四名にあなたを加えて五人で走って、上位四名が選手になるのでいいかしら」

この決め方にも当然納得がいかなかった。全員走りなおすべきなんじゃないだろうか。もしかしたら昨年は出られなかったけれど体力がついて速くなって上位四名に入れるようになっている子もいるかもしれないじゃないか。

なんだかもやもやして仕方がなかったが、転校生の立場でこれ以上目立つのはこんなわたしでも少し躊躇してしまって、とりあえず先生のそのよくわからない提案に乗った。

お昼休み、五名で五十メートル走。まだ夏の日差しが照り付ける校庭の土埃の中を駆け抜けた。わたしの結果がなんと四位。これまた微妙だった。一応リレーの選手には選ばれたものの、一位でもなく、ギリギリ食い込めた四位。気づいたら五位の子がすすり泣いていた。その時、ハッとした。

そうか。わたしという存在が急に現れたせいで、昨年リレーの選手としてある四枠の中に選ばれていた彼女は、五位になって一人だけあぶれてしまったのだ。

ほかの生徒たちも徐々にそれに気づき、転校生のくせに生意気だ、と実際に言われるようになってしまった。先生がもう少し配慮してくれていたらこんなことにはならず、もっとみんなが納得のいく形でリレーの選手が決まっただろうに。

わたしもリレーの選手の座を勝ち取ったはいいけれど、なんだか複雑な心境になってしまってこれにはとても落ち込んだ。先生、もっとうまくわたしの気持ち、汲み取ってくれればよかったのにな。

大人になった今、ふとそんなふうに思い出す。あれから、かれこれ三十五年くらい経っているというのに。

これは、わたし自身が、今、生徒さんたちと接する時の「接し方」に活かされている。あの時のどうしようもない気まずい思いを、同じように子どもたちにさせるのではなく、各々の考えを汲んで、集団の中にいても各々が少しでも自分らしく個性を失わずに輝ける方法を常に考えるという、今のわたしの方針に大きく貢献してくれている。

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