小学校の体育館ほどの広さの床はコンクリート敷きで、通路がコの字型に設けられていた。通路を挟んで駄菓子屋、卵屋、雑貨屋、八百屋、文具屋、酒屋、豆腐屋など、いろんな業種の店舗が肩を寄せ合って商いをしていた。
どの店も店主が一斗缶 (いっとかん)に座り、客が来ると、のそっと重い腰を上げる。冬場は店ごとに灯油ストーブが焚かれ、夏場は至る所で扇風機に吹かれた蠅取り紙が踊っていた。
そんな市場の中に、山内さんというご夫婦が営むとても繁盛していた精肉屋さんがあった。山内さん家族は僕の家の三軒隣に住んでいた。近所のよしみもあり、おふくろとこの店のおばさんはとても仲が良かった。
家の前でも市場の中でも、顔を合わすと話が尽きない。二人が顔を合わすと毎回うんざりするくらい待たされる。似た者同士で馬が合い、共に世話好きな二人だった。両家の家族で夕食を囲むのも日常だった。毎年僕の誕生日には、山内家が持参してくれる特上の肉ですき焼きがお約束だった。
そして、山内家には僕と同い年の女の子がいた。お互いに一人っ子で、家族同士も頻繁に行き来をしていた僕らは、兄妹のように育てられた。その女の子が沙耶伽だ。小さな顔にショートヘアがよく似合う、小鹿のような女の子だった。
今では珍しくはないが、当時の女の子の名前には大概「子」や「美」が付けられていた。当時「沙耶伽」という名はめずらしく、とても垢抜けした名前だった。この名前を付けたのはきっと芽衣おばさんだ。
僕は沙耶伽の母親を芽衣おばさんと呼んでいた。芽衣おばさんは沙耶伽と同等の愛情を僕にも注いでくれていた。芽衣おばさんが僕を叱る時は、「律!」と呼び捨てにして本気で叱った。
ある夏の日、三角に切られたスイカが大皿にのって食卓に並んだ。僕はすべてのスイカの三角の先だけをかじった。悪ふざけのつもりだった。皆が笑ってくれると思った。でも大人たちの反応は違った。おふくろのビンタよりも先に、芽衣おばさんが僕の両肩を掴んだ。
「こんなことをして誰が喜ぶの?」
射すくめられた僕は、「ごめんなさい」と謝るしかなかった。下げた頭の上におふくろのゲンコツが落ちた。