留置場に入れられ、常に手錠に腰縄で引き回される日が、人としての尊厳が、嵐の如く、疾風の如く奪い去られる日が、こんなに唐突にやって来るとは。そして人の手で、こんなにも残酷な形で日常を切り裂かれるとは、思いもよらなかった。僕はもはや為す術無く、ただ、今は弁護士に託すしかないと、思い知ったのだった。
2018年8月31日金曜日
前日の、大阪地裁の勾留決定により、僕は、大阪拘置所に、身柄を移されることとなった。留置場でのルームメートとは、お別れだ。入れ墨も大麻の若者も、僕が釈放されると心から信じてくれていたため、我が事のように落胆してくれた。
例の黒いワンボックスカーが、迎えに来た。また手錠に腰縄で、車に乗せられた。僕はもともと学生時代から極度な睡眠障害で、専門クリニックにかかっており、睡眠導入剤を、しばしば服用していた。
この度の嫌疑の原因となったサプリメントも、自分なりに、何とか薬に頼らずに、この障害を克服できる術はないかと、体質改善も含めてあれこれ模索する中で、自分なりに試してみた結果である。そのため、僕は、捜査官に、「不眠症で、睡眠導入剤を服用しているので、持参薬として持って行かせてもらえますか?」と、お願いしてみた。
車中の捜査官は、取り調べにあたっていたDEAと学生風、そして女性捜査官と無表情ノッポ、癒やし系の5人だった。どうやら、この5人が、僕担当のチームらしい。隣に座っていた無表情ノッポは、即座に、「何言ってんだ!」と、面倒くさそうに却下した。
運転中のDEAは、ヤクザな口調で、「あかん、あかん」と、否定した。助手席の癒やし系が、「ごめんね、かなえてあげられなくて」と、振り返りながら言った。
拘置所の部屋は、3畳の畳敷きで、奥にトイレと洗面台があり、ダンボール素材で造ったような小さな座机(ざづくえ)と布団だけが置いてある。多くが相部屋のようだが、僕は何故か、最初から一人部屋だった。理由はわからない。オカンが、朝から来て、何時になるかわからない僕の到着を待っていてくれたらしい。