握手を求めてきただけだったのだ。
「ハジメマシテ。ドウゾ、ヨロシクオネガイシマス」
またもや意表を突く言葉に、万条もつい笑顔となった。
どうやらヨンケルには、お茶目な一面があるらしい。気を取り直し、万条は安妙寺とともにお辞儀をすると、ドイツ語で自己紹介をした。
こうして無事、万条はヨンケルを出迎えることができたが、そのあと大木玄洞の指示通り、ヨンケルを三十石船の船宿に案内した。
乗り継ぎの船が出るまでの間、万条はヨンケルにいろいろ質問してみた。
日本語を交えながら、つたないドイツ語で会話していると、意外なことが判明した。アメリカを出発した後、ヨンケルは日本語を少し勉強したという。太平洋航路の船中で、岩倉使節団の通信使と知り合い、その人物が教えてくれたとのことだった。
またヨンケルの日本語会話は、予想以上に達者だった。ドイツ語と英語だけでなく、オランダ語やフランス語も堪能で、語学の才能は相当のもののようだった。
「ほう、岩倉使節団か……」
横で話を聞いていた安妙寺が、思い出したように言った。
「岩倉公は、外遊中なのか?」
万条が訊くと、安妙寺が呆れたように言った。
「なんも知らんやっちゃな……」
安妙寺によれば、岩倉具視を団長とする使節団は、昨年の明治四年十一月、アメリカに向けて出発したという。その後二年近くをかけ、欧州諸国を歴訪する予定となっていた。
友好親善と欧米先進国の文物視察が目的だったが、もちろんそれだけではなかった。各国を訪れた際に、旧幕府が結んだ不平等な条約を改正する使命を担っていたのだ。
全権は岩倉具視で、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文が副使として随行していた。医学関係者では長与専斎がおり、総勢百名以上にもなる大視察団だった。
「そうだったのか……」
万条は異国にいる岩倉公に想いを馳せた。
「まあ、あっちでも、元気でやってはるみたいやな」安妙寺が羨ましそうに言うと、そのときだった。
「そろそろ時間でっせー」と、船頭の声が船宿まで届いた。
話し込んでいるうちに、伏見行きの三十石船が出航する時間になっていたのだ。