私は、多様性が進む社会が良いことばかりの社会だとは思ってはいない。後で詳しく述べるが、多様化が進んだ社会は、多様性を認めるが故に包含せざるを得ない矛盾を抱えている。
だからといって、社会の多様化をどんなに否定しても流れは止まることはないだろう。現在を否定することは難しい。それは、過ぎ去った気の遠くなるような長い歴史を否定するに等しい。私たちに残された道は、この流れをしっかりと見つめ、いま、何が起こっているのかをありのままに見ようとすることだ。
教員がそうした流れに乗れなければ、制約の多い公立学校という船は、社会の多様化や相対化といった波にのまれて沈んでしまうかもしれない。事態はそこまで深刻になっている。
三 学校の相対化現象
―見放される公立学校―
「おい、公立中学校って、あと何年もつと思う?」
教員になって七~八年経った頃(三〇年ほど前)、同期の同僚に向かってつぶやくように聞いてみた。
その同僚は、何かしらの考えを聞かせてくれると思っていた。ところが、何も答えてくれないどころか、瞬時に鼻で笑ったのである。
「面白い冗談だねえ。こんな田舎で公立中学校がなくなるなんてあり得ない。そもそも近くに私立中学校なんかないじゃないか」
それを聞いていた他の教員からも失笑の声が聞こえた。「気は確かか?」という空気が職員室に広がったのをいまでもはっきりと覚えている。
しかし、すでにその頃、東京都では多くの児童が公立の小学校から私立の中学校に進学し、入学辞退者を示す「赤線だらけの入学予定者名簿」(秦、一九九二年、二七頁)を生み出していた。