③大鏡(おおかがみ)(左大臣時平(さだいじんときひら))

【18】「菅原道真(すがわらのみちざね)」

平安時代の頃のお話です。

菅原道真(すがわらのみちざね)は第六十代醍醐天皇(だいごてんのう)の御代に右大臣になり、藤原時平(ふじわらのときひら)と共に政治を執り行いました。

道真は人徳があり深い学問を身につけた学者で、その時代において大変人望が厚い人でした。

そのため、陛下からも特別な待遇を受け、陛下の行いを正し、知識を教えることが自分の務めとして政治や事務の全てを行い、その判断は水が流れるように進みました。

世の中の人は道真の姿をとても慕しく仰ぎ見ました。

一方、時平は年が若くて気が強く、常に相手に合わせることができず、いつも不平ばかりを言っています。

たまたま、宇多(うだ)法皇が陛下と議論している時に道真を関白にしようと望むことがありました。

そして、道真にそのことを伝え諭すと、道真は頑なに辞退します。

それを聞いた時平は益々不満が溜まり、ついには道真に対する偽りの罪を陛下に伝えました。

道真は罪を受け、太宰権帥(だざいのごんのそち)の役職に付けられ、遠く太宰府(福岡県)の地に追いやられることになりました。

道真は移動する際に歌を詠んで法皇に訴えて言います。

「ながれゆく、わがみもくづと、なりぬとも、きみしがらみと、なりてとどめよ」※1

それから、道真は太宰府に出発しました。


※1「太宰府に流れていく我が身は藻くずのようになくなりそうです。我が君よ、水を止める堰となって止めてください」