保元一年(一一五六)七月十一日、ついに戦が起こり崇徳上皇は敗走した。

世間の誰もまだ崇徳上皇の存否(そんぴ)も居場所も知らなかった七月十二日の夜、西行はひっそりと仁和寺の北院を訪ねたのである。

この夜崇徳上皇が西行だけに見せた底深い絶望の表情は、今でも西行の目に焼き付いている。西行にはそれが目の前の、涙を必死にこらえている若者の表情と重なった。

その時西行は、紛れもない天賦の気品と威厳を備えたこの若者が、源義経その人であると察したのである。この若者も、あの夜の崇徳上皇と同じだ。一途に己の道を生きただけなのだ。それなのに、どうしてこうなってしまったのか。

身の危険も省みず伊勢大神宮を訪れ、神に訴え問いかけずにはいられなかった源義経の気持ちが、西行には、痛切にわかってしまった。

源義経は、今は憤りも悲しみも何一つ隠そうとせず、激しい絶望の表情で食い入るように老僧を見た。

老僧は、すべてを吸い込む虚空のようなまなざしを向けて、あの親しみを込めた微笑をたたえ、再び義経に深く頷いてみせたのである。

受け止められた……兄源頼朝にも後白河上皇にも裏切られ、平家一門の恨みを一身に負っている、この自分が……。

義経は今、確かにそれを感じ取った。それがどんなことなのか、この時の義経にはまだ、わかってはいなかったのだが。

とっぷりと暗くなってきた伊勢の山深く再び身を隠そうと急ぎながら、義経は何か、ここを訪れる以前とは確実に違う心持がしているのを、ひしひしと感じていたのである。

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