「おう、帰ったか。久しぶりやな」と片手を上げて僕の方を見て言った。声は元気であるが、体はずいぶん小さくなっており、足も細くなった姿が目に入った。
“痩せたなあ”と思っていると、「順也、久しぶり」と言って、兄が2階から下りてきた。兄は相変わらず元気そうであった。妻とお墓参りをしてから家に戻ると、お昼ご飯が食卓に並んでいた。
母が、「ごちそうじゃないけど、どうぞ」と妻に言うと、父も兄も台所に集まり、食卓をみんなで囲んだ。
テーブルには揚げ物やポテトサラダ、大根と人参の煮物、それにきゅうりの酢の物が並んでいた。僕は酢の物に箸を伸ばし、口に運んだ。
母の酢の物は甘めの味付けであり、思わず、「やなあ」と独り言のように言った。
口の中に懐かしい母の味を感じながら、父と母、兄がいつものようにお昼ご飯を食べている様子を見渡しながら、“実家に帰ってきたんだ”としみじみ感じていた。
僕は、専業農家の次男として生まれた。産まれた時は未熟児であり、保育器に入っていたらしい。退院してからも、お乳を飲んでは吐き出してしまい、なかなか大きくならずに、両親を心配させたという。
僕の2つ上の兄は、僕が産まれてしばらくしてから、病院の検査で尿たんぱくが出ていることがわかった。
僕が産まれたのは小さな病院で、今みたいなスクリーニング検査などは行われなかった。ただ、僕の母は医療者ではないが、僕が産まれてしばらくして“ひょっとしたら、下の子も……”と感じ、近所の薬局に行き検査薬を購入し、僕のおしっこを調べたらしい。
すると、尿たんぱくの部分に縦線が1本入った。母は次の日、近くの小児科に行き相談した。すると、その小児科の先生は、「お母さん、心配ありませんよ。こういうこと(尿たんぱくが出ること)は子どもの時期にはよくありますからね、大丈夫です」と言った。
“大きな病気じゃないんだ”と母は安心したと言っていた。ただ、経過観察のために通院だけはしていたが、お薬を飲んだり、食事療法はしなくてよかった。