頭の中では先生方に感謝するということでいっぱいなのですが、どうも私はその考えは外面的で内面では反対にいやがっているようなのです。感謝したくないのではなくて、先生方の行動や態度、言葉、そのものが私には、はっきりと何を言いたいのかわかるのです。でも本当に私にはその必要がないと思います。
私にはまだまだ教えられる点がたくさんあります。知らないことばかりです。けれども自分に必要だと感じたことは、自分で〝知ろう〟と思うし、私自身で見出していきますから、あまり他人にいろいろ気を使ってくれない方が私にとって安心だし、勉強にもなるからです。
あわれみっぽい気持ちから取り方が悪いと(取りようによっては)バカにされているようでもあるのです。それはもう充分先生方の好意をとても感謝しています。私に希望を持たせて、悪い考えにはいりこまないようにと心配して下さっている。
でも私には神がいるし、私は神を信頼し、愛しています。だけど苦しくて希望も暗やみの中に消えることさえありましたが、まだまだかすかな期待が私の心の中でともっているのです。だからどうぞ私のことをあまり心配なさらないで下さい。
私の考え、行動、その他すべて神のみ手にささげ、神にまかせて、この世に生きています。私は決して希望をすてたりしません。神はこんな貧しい私にさえも愛を下さっています。
何というすばらしいことでしょう! 私も神主イエズス=キリストが私達を愛して下さったように他人を愛し、なさった善行を受けついでキリスト信者として神のけらいとして、この世に生けることを…‥望みたいと思う。
12月19日(日)
明日は2学期最後の終業式。私は、あまり実感がわきません。ただクリスマスが来るというとても大きなことが待っているので感じないのでしょう。今年のクリスマスは何だか私にとってとても喜ぶべき時のような気がしてなりません。そわそわどきどきです。
今日のお説教は「人の立場を考える。立場を与える」というお話でした。とてもすばらしい話で聖ヨゼフ様の立場から私達のほうへ移ってお話しされました。何でも気がついて、すぐに実行する、ということはとてもすばらしいことだと思います。でも他の人のことも考えて、気づかないふりをして相手に立場をゆずることも又すばらしい愛の行ないだとおっしゃった。