すると、少しだけ冷静さが戻ったような気がしたのだが……。

(もしかして、自分は、入れたつもりになっているだけで、実際は仕事場の机上に置き忘れてきたのかもしれない。近頃は、家にいても同じような物忘れを度々起こすし)

ひとまず、そのように自分に言い聞かせて落ち着きを取り戻そうとしてみた。しかし、真相が分からぬ不安からか、どうしても、急いた気持ちが収まらず、普段より二時間も早く家を出て、仕事場に飛び込んだ。

事務を執っている自分の机を皮切りに、昨日の行動範囲内を舐めるように当たってみたのだが、残念なことに失せ物は見つからなかった。

USBの中には、次年度からスタート予定の新設駅前開発、その計画成案が入っていた。駅前地区振興計画実施要綱に基づき、土地の買収計画、担当業者選考結果及び代表者名簿、行政担当者名簿、その他諸々の機密情報、個人情報等がぎっしり詰まっていたのだ。

この公式企画書案は、早くとも九月中に市の企画部運営委員会の承認を得て、十月の議会で決定をみることになっていた。したがって、有三の直属の上司はもちろんのこと、他部局の管理職も、この計画の進行日程を十分に把握するものであり、何の妨げもなく事が運ぶように、気遣いを見せるところであったのだ。

遅くとも八月の末までには、担当者である有三から、各関係部局へ成案及び会議日程を提示しなければ、不測の事態が生じているのではと疑われても仕方がない。八月が後半に差し掛かったこの期に及んで、全体日程の先延ばしは考えられない。

有三は天を仰いだ。まさに進退窮まれり、しかし、この事業の責任者としては、狼狽(うろた)える素振りなど、到底見せられるものではない。

何とか平静を装ってはみたものの、内心に潜む動揺は到底隠しおおせるものでなく、肩が落ち、項垂(うなだ)れて、伏し目がちな青白い表情、いかにも落胆して暗く沈みこんだその様相は、出勤して来た課内の女子職員の気付くところとなってしまった。

真面目で実直な有三のことを行政マンの鏡として敬い慕っている明子(あきこ)は、いち早く彼の異変に気付き、気遣いを見せた。同課で仲良しの優菜(ゆな)と二人で彼を昼食に連れ出したのだ。

お盆のこの時期でも、庁舎の五階にある食堂だけは、どういう訳か満席に近かった。明子は、周りを見回すや、目敏く、三~四席空いているテーブルを見付け出し、有三と優菜をそこへ誘導した。

優しい二人の女子職員は、入れ替わり立ち替わり彼に話し掛け、自分たちの話の輪に引き入れようと努めたのだが、彼の心ここにあらず、といった具合で、二人の会話に乗ってきてはくれなかった。とうとう二人は、匙を投げてしまい、話題は自分たちが好むゴシップ話に傾いていった。

【前回の記事を読む】絶対に早く帰らなければ…今日は妻の誕生日。仕方なく一大事業の企画書を持ち帰り…。