知り合って38年、結婚して35年。59才11ヵ月で、何の言葉も残すことなく静かに死んだ。
エンゼルケアのため退室する私に、友人から看護師長に戻った彼女から、葬儀社を決めて連絡をとる様、話がある。そうだ、悲しんでる時間はないと現実にもどり、あちこち連絡を入れる。談話コーナーの窓には、きれいな夜景が広がっていた。
だれもがただの体調不良でその内もどってくるだろうと思っていたから、どこに電話しても相手の「えーっ」という絶叫が響いた。そうだよね。伝えてる私も信じられないもんと、うなずいた。
お通夜、告別式。
幼なじみや職場の方々、私の友人もかけつけてくれた。コロナ禍の中でも無事にとり行えたことは本当に有難いことだった。
私にとっては酔っぱらってすぐにその辺で寝るやっかいなおっさんだったが、職場や友人の間では人気で、私の好みの顔ではなかったが「イケメン」だった。遺影も雑誌にのった時の物で、初めてみる私の職場の人間からは「ダンナさん良か男―」と驚かれていた。
出棺―息子たちや私の弟、幼なじみに抱えられ、お別れのクラクションが物悲しく響いた。
次に見たダンナは火葬を終えていた。それはまるで理科室の骨格標本みたいに立派で、思わず笑った。
元々、ガッシリとした体格で長患いもしていなかったダンナのそれは、今まで見たこともない程みごとだった。だから骨壺も1番大きな物を選んでいたが、余りにもしっかりした骨ばかりで入らなくなり、係の人も「そろそろ―」と言葉を挟んだが、娘は「パパが困る」と真剣な表情で力一杯、壺の中の骨をくだき、全部の骨を収めた。
娘の行動に驚きながらも、以前専門学校の授業で人体解剖があった夜に、平気な顔でハンバーグをほおばっていた娘を思い出した。―さすがである。
娘の愛で満タンに入った骨壺は、この上なく重かった。