それが60歳の年で、まずは準備もそこそこにへんろ旅の一歩を踏み出したわけです。

この様にして始め、ありがたくも108回の結願を迎えた八十八カ所へんろ旅ですが、高齢になっての発心だった事もあり、最初に75cmはあった歩幅も年々腰が硬くなり、最後には60cmになるなど、自身の体の衰えを感じながらの歩行となりました。

その間は、毎年正月を挟んで1カ月は完全に休んで、それから歩ける状態に戻すため毎日7~8km歩くところから始めます。

その、休みと調整の時期を除いて年間ほぼ10カ月で12回を歩く計画を立てましたので、一番速い時はおおよそ25日で1回を歩く計算です。

それも途中からは前述の様に道直しもしながら、また時には休みを挟みながら、それでも日数はほとんど変わらない様歩き、平均で1日12時間、年に最低10、11回のへんろ旅となると、時間的にはほとんど一年中歩いている感覚です。

それを何とか続けられたのは、おかしな言い方かもしれませんが、歩いて歩いて、歩き続けて、心が空っぽになる時間が持てる様になったからで、これはおそらく一回しか回った事のない人にはあり得ない状態でしょう。

そうした状態では、歩こうという事さえも忘れて、足が前に前に出る様になり、それまで感じていた疲れさえフッとなくなって、無意識でも道に迷わず、何時間歩いたかもピタリとわかります。

そこでは心が空っぽになっていますが、それはけっして思考停止ではありません。

無意識状態で周辺環境を全て把握しており、心中の思考や思索は驚くほどに充実して、その視点も日常の狭い枠を飛び越えている――いわば、思考を思考と意識せずに思考している状態といえるでしょうか、この無我思考における心と心の問答、心の言葉を少しでも書き留めておこうと、一瞬の内にひらめき、僅かな余韻で消えてしまったその内容についても、本書では不完全ながらまとめています(第四、五章を参照)。