時代は日中戦争が始まり、その後終戦を迎える時とほぼ同じ時期であった。工事は戦争のため一時中断もし、結局十六年の歳月をかけてようやく完成したのである。

掘削途中たまり水が出た時もあったが、事故も無く何とか貫通にこぎ着けた。

トンネル断面は二人がやっとすれちがう事ができる広さであり、満足な測量器具や知識が無い中、つるはし一本で掘り抜かれたことは驚嘆に値する大事業である。

途中、推進派の中心人物が村長になり、県に陳情してやっと林道としての補助がでることとなった。しかし、その条件として村全体の嘆願書が必要ということになった。打ち合わせが重ねられた結果、慎重派もトンネル工事に協力することとなり、ようやく村が一つになった。

掘削のズリ出し(土砂の搬出)には各家から蚕棚の材木が提供され、それが線路となった。そして、終戦後の作業では、トロッコが導入され、鉄のレールを人が肩に担ぎ峠越えをしたという。

このトンネルの施工にあたっては、この村独特の井戸である、水平の井戸を掘る技術が役立ったとのことである。

ふつうの井戸は地面を垂直に掘るが、この地域では山の斜面を水平に、人がやっと入っていける幅だけ掘っていき、水脈を集める方法を採っていた。そのため人力によりトンネルを掘る方法はすでに過去より実施されていたとのことで、これらの井戸のトンネルの総延長は長いものでは何百メートルのものもある。

今ではこの手掘りの中山隧道トンネルのすぐ横に新しく国道トンネルが掘られ、村の生活は随分便利になった。しかしそれまでの間、この手掘りのトンネルは村人の生活を支え、多くの人命を救ってきたのである。

当時掘削に携わった人々はみな高齢にはなっているが、その顔は素晴らしくいい顔であり、やりがいのある大事業をやり遂げたという満足感に満ちている。

今の時代で言えば、たかだか一キロの小さなトンネルではあるが、この中山トンネルは十六年の歳月をかけた悲願のトンネルであり、素晴らしくやりがいのある事業で、完成時には大きな感激が味わえたであろう類まれな歴史遺産であると言える。

私がこの映画を見たのは二〇〇四年、国土交通省在職時代、年に一回開催される「建設技術展」の中であった。地道な村人の十六年の長きに渡る尽力が成し遂げたこの事業に、機械化施工が全盛のこの時代にあってなお「人の力はすごい」とただ素直に感動したものだった。