「まだ正式に決まったわけじゃないけど、今のインターン先に就職すると思う」

「え、スカウトされたの?」

「うん、来月からはアルバイトとして働いて欲しいって言われてて。あと、その結果によっては卒業後もそのまま働いて欲しいって」

私はその年の春から、千代田区内にある書籍の装丁などを主に扱うデザイン事務所にインターン生として所属していた。

面接を受けたとき、同じくインターン生として面接会場にいたのは美大生やデザイン専門学校生ばかりで、都内の私立大学の社会学部生の私は完全に異質の存在だった。

それは会社の面接官たちも感じていたようで、集団面接では志望理由などを他の人より事細かく聞かれたが、拙いながらも社会学を学んだ人間だからこそ感じてきたデザインと社会学の共通点や相互作用の大きさを語り、加えて採用後には必要なスキルの修得に励むことを無我夢中で伝えると、私を突飛ながらも勤勉な人間と捉えてもらえたのか、決して低くない倍率を潜り抜けて私はインターン生として無事合格した。

採用後も、大学の講義やレポートの合間を縫ってデザインの勉強を続ける姿が評価され、事務所内での人間関係および業務は極めて良好だった。

遡ると高校三年生のときに進学先を決める際、父からは女子大を強く勧められたが、私はそれをさらに強く拒絶した。オープンキャンパスで見学したときに雰囲気があまり私にとって好ましいものではなかったこともあるが、父の言う、とりあえず就職率が高いから、という入学推奨意見に賛同できなかったことが特に大きな反発理由へと繋がった。

私の進路にうるさく干渉してくる父と反比例するように、母は私の進学先について口を出すことはほとんどなかった。それどころか、私が眠った後の夜の時間に父を諭し、静かに私の味方をしてくれていたようだった。

その甲斐あってか、最終的には私は社会学部がある私立大学を四つ受験し、その中で受かった二つのうちの今の大学に入学することができた。

【前回の記事を読む】見てはいけない写真だった。今まで見たことのない母の姿がパソコンの「ゴミ箱」の中に