おーい、村長さん
二
山深い渓流沿いの細い道を一台の軽トラックが静かに走っていた。ヒノキやスギの間を縫うように山道はどこまでも続き、その道沿いにはところどころ薄紫色のカタクリの花も咲いていた。木漏れ日の中を走る車の窓から、私は村の風景を眺めていた。
「神田さん、そろそろ着きますか」
「村長。まだしばらくかかりますよ」
「村長」となった翌日、私は村役場の職員・神田課長と二人で村の施設の巡回に渋々ながら出かけることになった。道中、神田課長が日野多摩村の状況を運転しながら詳しく説明してくれた。
日野多摩村の人口は約千五百人。東京都西部に広がる村で面積は東京都の市町村の中で一番広く、隣は山梨県。村の面積の約九十%が山林という。
主な産業は、林業と農業で木材、木工品が有名。農作物ではじゃがいも、キノコが名産らしい。他に人気スポットとしてキャンプ場、釣り場、温泉がある。ちなみに山にはイノシシやタヌキ、シカもいるという。
先日はクマの目撃情報まであったらしい。その話を聞いて東京都にもこんな地方の観光地みたいなところがあったのかと驚いた。スーツ姿の会社員がカフェでパソコンを打ち込んでいるところばかりが東京ではないのだ。
神田課長は昨日、「あの件」を聞いていた一人。私と同年代で、大人しそうな顔つきをしているが身体は大きくガッチリしている。
「日野多摩村に来て長いですか」
私は神田課長に訊いてみた。
「私は、もともと日野多摩生まれで日野多摩育ちなんです。若い頃は品川の会社で仕事をしていました。村からバスと電車で毎日通っていたんですよ。二時間もあれば品川に出られますからね」
神田課長は、嬉しそうに自分の経歴を話し始めた。
「ただ通勤ラッシュにはうんざりでした。それに都会の人の歩き方が速いこと速いこと。初めは競歩でもしているのかと思いましたよ。仕事も厳しいですしね。ミスが許されない仕事だったので精神的にも参ってしまったんです。それに出世競争も激しくて、人間関係もギスギスしていたんですよね。そんなこんなでその会社を辞めて、日野多摩村に戻って村役場の職員になったんですよ。私にはこの田舎の雰囲気が一番合っているんでしょうな」
神田課長は気さくに話してくれた。
「そうですか。この村はのんびりしていますし、クレームもないでしょうね」
神田課長の話を聞いて自分と兄のことを思い返していた。兄と私は小・中と同じ学校に通った。兄は成績優秀で進学校に入学し、一流大学へと進んだ。その後、大手の商社に就職し、バリバリの商社マンとなる。
一方、私は勉強が苦手。それで工業高校に行き、そのまま小さな町工場で働いた。担当の仕事はイヤではなかったが、とにかく忙しく工期に追われ残業の日々。汗と油にまみれ毎日くたくただった。職場の人間関係にも馴染めず会社を転々とした。
年齢とともにいい就職先もなくなり、今はアルバイトをしたりしなかったり。だからいつも兄と比較されては悶々とした日々を過ごしていた。