自分を律して、仕事すなわち労働を行うことですが、これに対し違和感を抱く場合もあります。言ってしまえば資本主義経済の被雇用賃金労働者ですから、労働の対価として賃金をもらいます。資本主義は高校、大学でも学んだと思いますが、今ひとつ実感がない。言われたことをやる・やらないではなく、やる=できることが前提でお給料をもらうことになります。
最初からできることを期待されているとか、間違ってはいけないということではないのですが、ひとつの製品を作るにしても責任を負って作るようになることを求められます。
ですから、誰でもない自分がする、自分が働くという意識や構えが重要になります。これらの変化が求められるのだと思います。アルバイトで賃金をもらうことに多少慣れていればそのショックも少ないかもしれませんが、学生でいることと社会に出ることの構えの差が大きいのだと思います。
就職後少なくとも、これらの生活という外部的な変化と働くことの構えとしての内面的な変化に耐えないといけないのでしょう。多くの若者は就職後大急ぎでこれらの認識を変化させ、働くことに飲み込まれて行くことになります。
若者のこのような特徴がひとりでに生まれたわけではないので、育てられ方、育て方ということになりますが、これまた親だけの問題でもありません。社会全体の問題と考えたほうがよさそうです。
ひとつには、今や子どもは希少な存在で、衣食住のすべてにおいて親がしてくれて当たり前になっているでしょう。もちろんヤングケアラーのような問題もありますが、勉強することを熱心に子どもに迫る家庭では、日常生活の自立よりも勉強し1点でもテストの点数を上げることが重要課題となるでしょう。
自分のことは自分でするように練習しなければ、できるようにはなりません。勉強さえできれば、それらもできるようになるというのは間違いです。一人暮らしになった子どもの部屋を訪れ、その破綻ぶりを見て「どうしてこんなこと(生活すること)も、できないのかしら」と愕然とする親御さんもいますが、日常生活の自立はテスト勉強よりも難しいかもしれません。