後漢書(ごかんじょ)列女傳(れつじょでん)第七十四・孝女(こうじょ)曹娥傳(そうがでん)

【11】「曹娥(そうが)

後漢時代(西暦数百年)の頃のお話です。

後漢の曹娥は曹盱(そうう)の娘です。家一族は代々、昌(山東省(さんとうしょう)付近)の西に住んでいました。

義理をよく知り父母に対して、とても孝行でした。

ある日、山谷(さんや)の水が増水し、溢れんばかりでした。父は竹の船に乗ってから川を渡ろうと望んでいました。

()は水の流れが激しく、渡ることは出来できないと思っていました。父が溺れてしまうことを心配して、これをなんとか止めようとしました。

しかし、父は従うことははありません。

父の船が川の真ん中ぐらいに差し掛かった時、船は沈み父は溺れてしまいました。

娥は悲しみ泣き叫び、自分の身を顧みず水に飛び込み、父を探すこと三日。ついには、父の屍を抱いたままて自らも亡くなってしまいます。

村の人は父の為に死んでしまったのを憐れに思い、二人の屍を埋葬して仮の葬儀を行いました。

それから九年を経て、この話を言う人もいなくなりました。そこで、郡の長官であった()(しょうは、祭壇を設けてこれを追悼し、記念の碑を建てて言葉を残して後世に伝えました。