今の高齢者向けスマホは、壮年向けのデバイスと操作インターフェイスを、後づけで改造して提供されている。
その結果、より複雑になり、マニュアルが厚くなった。せっかくタッチで直接操作できて、マウスやキーボードより直観的な操作インターフェイスになったのに。なぜこうなったか、どう克服できるかを、本文書で見ていく。
本文書は、高齢者のためのICTを論じるものではないが、そのような事例を使う。
高齢者で現状の問題が先鋭化しているため、分かりやすいので利用する。ディジタルネイティブ世代には、関係ない話だろうか? 壮年の方々であっても、GUI操作でイライラすることがしばしばあるのではないだろうか?
現状の問題は、誰にでもストレスをかけ、実に神経を削っている。
スマホのせいで、西暦3000年のヒトは、背骨と首と指が曲がっているようになるという報告がある。ぜひ、「西暦3000年人類」でググってみてくれ。現在の技術のいびつさが見える。
コンピュータの違和感の正体
コンピュータは、ヒトの能力と調和していない。「なんか違う」感がある。
コンピュータは、モノであり、道具である。しかし、コンピュータの処理対象は、ハサミのような道具と異なり、抽象的な情報だ。また、コンピュータの機能は、計算や情報の加工である。
日常で見る道具とは、対象も機能もヒトの抽象物である点が異なる。コンピュータは、ほかの抽象物とも異なる点がある。建築物、都市や、貨幣は、ヒトの抽象物である。これらはヒトの生活や身体と密接に関連している。物理学や化学もヒトの抽象物である。これらは自然の対象と関わる。
一方、コンピュータの抽象物、例えばファイルやフォルダーは、ヒトの身体や自然と関わりがない。純粋に抽象的な、神話や数学や文学などに近い。
ところで、これだけ普及したコンピュータが、もともとエリートの知能の拡張のための道具であったことは意外であろう。
石器はヒトの手の延長だったが、コンピュータはヒトの脳の延長であった。ヒトがコンピュータに対するとき、その抽象的な構築物を介して操作するという関係にあるのは、その歴史的経緯に根差している。