『人間の海 ある戦後ノォト』永畑道子 岩波書店 一九九四年

挫折は人生にとって大事な体験

著者は一九三〇年代初期に熊本に生まれた。地方新聞である熊本日日新聞の初の女性記者だ。戦中から戦後にかけて活躍した女性に関する多くの取材及び著書を著している。

この本は自伝を柱に、ご自身が取材した明治から昭和の著名な女性、柳原白蓮や与謝野晶子、壺井栄などの知られざる私生活について丁寧な取材から得た成果を著している。ご自身についても変動多き人生の中で得た生き方を書かれており、その力強さには心打たれる。

悲しみをバネにして次の仕事へ、挫折は大事な体験、書く事は未知の人生に出会うこと、このような「脱皮」が人生にとって大切なことである。与謝野晶子はこのような脱皮を「瑠璃色への飛翔」と呼んだ。人生とはその繰り返しかもしれないと。

文中には柳原白蓮の夫の事が出てくる。世に名が知れた白蓮、その夫はとんでもない非人間的な人、そのように知られていたのだが、実は真逆の真実を彼女は取材の中で突き止める。

有島武郎と心中した波多野秋子、その夫春房も大きな誤解を受けていた一人である。壺井栄の若かりし頃傾倒したダダイズムやアナキズム、そしてそこから離れ、故郷小豆島へ帰ってからの執筆活動など、おとなしい女性というイメージを今まで持っていたのだが、そうではなかった事実がこの本を読んで初めて知ることができた。

巻末には敗戦後、日本の為政者のうろたえぶりや、その影で厳しい生活を余儀なくされた女性の事などが冷静にそして如実に書かれている。歴史の裏に隠れていた事実が初めて明るみに出されたという印象を受けた。

映画『(かあ)べえ』野上照代原作 山田洋次監督 松竹映画二〇〇八年

戦争の過酷さ、特高警察、思想犯、腐敗

舞台は昭和十五年、太平洋戦争前夜である。二人の姉妹初子と照美は優しい文学者の父と、代用教員の母とに守られ、平穏に暮らしていた。彼女達の暮らしでは、お互いに親しみを込めて「べえ」を名前の後ろにつけて呼び合っていた。

そんな平穏なある日、突然「特高」(特別高等警察)と言われる、思想犯を取り締まる警察が土足で家の中に上がりこみ、父を拘束していった。

それ以降の(とう)と、母べえ、そして二人の姉妹がやりとりする手紙が主題となる。父べえが検挙された後、父べえの教え子山崎(山ちゃん)が母べえの生活を助けてくれ、また、父べえの妹で画家である久子も応援してくれる。

原作は野上照代(実は、映画の中に出てくる次女である。)が一九八四年の読売女性ヒューマン・ドキュメンタリー大賞に『父へのレクイエム』という題名で応募したもの。

優秀賞を受賞したこの作品を山田洋次監督が映画化したものである。キャストも豪華で、主人公母べえには吉永小百合、山ちゃんには浅野忠信、久子に檀れい、大人になった初子に倍賞千恵子、照美は戸田恵子、奈良の叔父、藤岡仙吉に笑福亭鶴瓶。

戦時中を背景とした映画なので、当然かつてそうであったやりきれない風景が織り込まれている。